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東北に新たな事業をと
心身が疲れ知らずに動く
写真 事業家/漁師
立花 貴
さん
たちばな・たかし ●1969年仙台市生まれ。東北大学法学部卒業。94年伊藤忠商事(株)入社、99年同社退社。2000年(株)エバービジョン設立、代表取締役就任。10年に退任後、日本の食と伝統文化を発信するレストランやショップ、ギャラリーを運営。東日本大震災直後、地元宮城県へ戻る。日本の新しい漁業を目指す漁師の会社(合)OHガッツの発起人、体験学習と基礎学習支援を行う(社)Sweet Treat 311の代表理事、東日本の食の復興・促進を行う(社)東の食の会の理事、また(社)3.11震災孤児遺児文化・スポーツ支援機構の常任理事も兼務。著書に『心が喜ぶ働き方を見つけよう』がある。

 肩書の一つとして、立花さんは漁師を名乗る。東日本大震災の被害が大きかった宮城県石巻市雄勝(おがつ)町に住民票を移し、新たな仕組みで漁業を事業として運営していこうと、立花さんたちが発起人となって立ち上げた合同会社OHガッツで働く漁師だ。カキやホタテの養殖、商品開発などにも従事している。他にも、壊滅的な被害を受けた東北の振興促進、被災地の子どもたちを支援する組織作りなど、ユニークで開かれた活動を実現してきた人だ。

 さらに、奈良県を拠点に飲食事業を営む経営者でもあるが、その印象はすがすがしく、洗いたてのコットンのようだった。

 仙台で生まれ育った立花さんは、大学卒業後に東京の総合商社に就職した。5年間勤めたら起業すると宣言した熱い仕事人だった。目標より1年遅れの6年目に、食の流通などを手掛けた経験と人脈を手に独立。やがて、個人経営の飲食店へ食材を卸す、新しいビジネスを軌道に乗せ、10年間の経営実績を残す。次のレストラン事業を始めた翌年に震災が起き、取るものも取りあえず母と妹が住む仙台へ入った。

 「ただ安否を確かめたかった。家族は無事でしたが、多くの人に水も食料も届かない惨状を見て、気がつけば毎週炊き出しをしていました。頭で考えるより先に、心も体も、やらなきゃと反応する。知恵が生まれてくる。今まで戦略的で頭でっかちだった僕なのに、まるで何かに突き動かされているようです」

 伝統文化の和太鼓を習う子どもたちを全力で応援し、海外演奏も実現した。

 「悲惨な体験をバネに、視野を拓(ひら)いて欲しい。失ったものは多いですが、私たちの文化や産物は世界に通用するものです。復興を超えて、顧客を海外に作るような新しい事業の仕組み作りを手伝いたい」

 商社に勤め、ベンチャー企業を起こしてきたビジネスマンの機動力が活(い)きる。立花さんを見ていると、「自分にもきっと何か出来る」とこちらの心も動き始めるのだ。志は静かに伝染する。

(5月14日掲載、文:田中美絵・写真:南條良明)

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