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漫才師・作家
島田洋七
さん
しまだ・ようしち ●1950年広島県生まれ。広島工業大学中退。75年島田洋八と組んだ漫才コンビ「B&B」でNHK上方漫才コンテスト優秀努力賞受賞。80年「お笑いスター誕生!!」10週連続勝ち抜きで初代グランプリ、「THE MANZAI」出演などで漫才ブームを引き起こす。上方お笑い大賞、日本放送演芸大賞ほか受賞多数。2001年祖母との生活をつづった『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間文庫)がベストセラーとなり、06年映画化、テレビドラマ化される。主な著書に『文句あっか!!』(文芸春秋)ほか。島田洋七オフィシャルサイトhttp://www.gabai-youchan.com/

 漫才からさらにモノ書きへ。島田さんのフィールドが広がっている。亡き祖母との暮らしを描いた『佐賀のがばいばあちゃん』がベストセラーとなり、シリーズで100万部を超えた。映画、テレビドラマ、漫画化とその勢いはさらに増している。がばい、はすごいという意味だ。

 「小学生、中学生の頃の7年間、俺(おれ)は母方の祖母に預けられて育ったのですが、まあ絵に描いたような貧乏でした。でもお金はないけれど、ばあちゃんは知恵があり、いつも笑っていて朗らかで面白かった。漫才で売れまくっていた時代は自分の過去の話が恥ずかしく、見栄を張って隠していましたけれど、でも人生の岐路に立つとばあちゃんの生き方や口癖に励まされる。俺はすごい宝物を受け取っていたんだと思い至りました」

 ばあちゃん語録から。「人がこけたら笑え。自分がこけたらもっと笑え。人はみんなこっけいだから」「嫌われているということは、目立っているということや」「生きていることが面白い。なりふりかまうより、工夫してみろ」などなど。島田少年を愛し、支え続け、笑いで生き抜く、自分の境遇を楽しんだ人だった。漫才の原点は祖母だったと、今はよく分かるそうである。

 1980〜81年は熱い漫才ブームの頂点に立っていた島田さんだが、ある日その人気が急降下していく。頂点に駆け上がることは止められない、そしてそこから落ちていくことも止められない。ブームとはそういう魔物だという。その時期、ばあちゃんは「とことん飽きるまで遊べ」と、そう言った。

 渡米も含めて約5年。島田さんは一切の仕事をせず、蓄えを使い尽くして過ごした。山の頂から谷底の沢に降りて、清らかな水に戯れていたような年月だったそうである。

 「みんな持っているものを失うのが怖い、人の評価が怖い。だから声をかけられれば何でも引き受けてしまう。でもそうやっていると、結局は自分が心の底からやりたいと思うことが見えないよ」

 やがて分かったこと。漫才は好きである。これは活動を復活した。そしてばあちゃんがくれた宝をもっと書きたい、伝えたい。「作家島田洋七」はグイグイ自分の道を行く。

(9月18日掲載、文:田中美絵・写真:南條良明)

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