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働くということが人生にどれほどの実りをもたらすか。
私は若い世代に語り続けていきたい。
(財)小野田自然塾理事
小野田町枝
さん
おのだ・まちえ ●1937年茨城県生まれ。千葉県立佐原女子高等学校卒業後、日産自動車(株)、(株)トーメン、ブリヂストン(株)に勤務後、損害保険代理店を経営。69年上智大学聴講生として心理学を学ぶ。76年小野田寛郎氏と結婚し、ブラジルへ移住。牧場開拓に取り組み、また現地の子供たちのために日本語学校を創設。89年(財)小野田自然塾設立後、現職。ブラジルでの牧場経営と日本での青少年健全育成事業の活動を続けている。著書に『私は戦友になれたかしら―小野田寛郎とブラジルに命をかけた30年』(清流出版)がある。問い合わせ先:清流出版(電話03-3288-5405)
 1974年3月、「小野田少尉、30年ぶりの帰還」というニュースが日本だけでなく世界中を驚かせた。終戦を知らされないままフィリピンのルバング島で30年間も軍人として生き抜いた小野田寛郎さんが、戦時中そのままの軍服を身につけ、厳しい表情でテレビの中にいた。

 「その姿を見て、彼の鋭く光る目に、こんなに潔くて強い信念を持つ人がこの世に存在していたのかと感動し、私の心はその強さに引きつけられました」

 もちろん連絡する方法もなく、ただただあこがれただけで月日は過ぎていった。しかし不思議なことが起きる。ホテルのティールームに偶然にも小野田さんその人がいるではないか。町枝さんはいてもたってもいられずあいさつに出向く。それからさらに日が過ぎ、耳に入ってきたのは小野田さんがブラジルへ移住するという情報だった。「小野田は苦しんでいたと思います。私はこの人のために命を懸けてでもお役に立ちたい。そんな思いから結婚へ踏み切りました」

 町枝さんは水道も電気もないブラジルの原野で、ゼロから共に牧場開拓に挑んでいくのである。それは生易しい仕事ではなかった。毎日睡眠時間は4時間ほど、7年間は無収入。現地のポルトガル語もほとんど分からず、厳しい気候や虫に悩まされながら働き続けた。

 軌道にのったのは8年目から。現在は1800頭の肉牛飼育に至っている。

 「OL時代の経験も、保険代理店を経営していた頃のセールス術もすべて役にたちました。牧場での力仕事も、自給自足の日常も学ぶことが多くて、労働って人間を支えるものだと思いましたね」

 過酷な牧場経営に従事していたとは信じられないほど、町枝さんは柔らかな印象が美しい。生命力があふれている。

 「私はね、若い人に働こうと言いたいの。生き方に迷ったり、袋小路に入ってしまったと感じたら額に汗して仕事をしてみて。必ず心は軽くなります。今の日本には若い人の仕事はたくさんある。どんな仕事でも、きっとあなたの血となり肉となる。理屈じゃなく、人を支えてくれます」

 ブラジルの大地を今も馬で駆け巡り、町枝さんは運命を楽しんでいるそうだ。

(8月30日掲載、文:田中美絵・写真:南條良明)

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