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夢のような成功と、声帯を襲った悲しいトラブル。
乗り越えた今こそ、私は何を歌うべきかが分かる。
テノール歌手
ラッセル・ワトソン
さん
ラッセル・ワトソン ●1972年イギリス生まれ。16歳でマンチェスターのエンジニア会社に就職し、その傍らクラブやホールで歌う。その後マンチェスター・ユナイテッドのサッカー試合前に数万人の観衆の前で歌ったのを皮切りに、クリフ・リチャードのコンサートのスペシャルゲストなどでセンセーションを巻き起こす。2000年アルバム「The Voice」でCDデビュー。04年までにアルバム4枚、DVD2作で200万枚をセールス。05年新CD「amore musica(アモーレ・ムジカ)」発売。テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演、5月22日放送予定。5月27日・29日に東京オペラシティにて公演予定。問い合わせ先:東京音協(電話03-3201-8116)

 イギリスが生んだスーパー・テノール。それがワトソンさんについてまわる賛辞だ。広い音域、別の人が歌っているのかと思うほど突然切り替わる発声。オペラを歌い上げる豊かな声量と、ポップスに乗るリズム感。デビューアルバムはクラシックチャートで1年間続けてトップを走り、ギネスブック記録となった。ローマ法王や英国大臣、大統領やチャールズ皇太子の前でも歌う。

 どこにでもいるサッカー好きの少年だったそうである。16歳で工場に就職。ワトソンさんの生まれたマンチェスター郊外の小さな町では、ごく当たり前のことだった。

 「ただ歌だけは本当に好きだった。仕事をやりつつレッスンはしっかり受けたし、クラブで歌い続けていた。声はいくらでも出たし、みんな喜んでくれたよ」

 ある日、仕事帰りの人々が集うクラブでプッチーニの歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌った。オペラのアリア。これが運命を動かす。冒頭に記したような成功への階段を駆け上がっていったのである。しかし、すべてを手中にしたような幸福感の中で声の異変に気づく。声帯にできたしこり。

 「涙が止まらなかった、一番高い声域を失うかもしれないと診断されて。でも苦しい手術で声がすっかり戻ったときから、僕は生まれ変わった。何でもできて当たり前だと思っていたワトソンは、自分自身の声と歌を真剣に考えるようになったということだね。こんなに大切なものをいかに粗末に扱っていたのかを思い知らされたから」

 手術後に声が出たとき、ワトソンさんは心から歌うという自分で初めての体験をしたのだと笑う。才能のままに、伸びやかに歌ってきた昨日までの自分ではなくなっていた、と。

 「歌は、人の心の垣根を越えていく。愛、平和、希望や幸福を深く呼び覚ますものですね。僕の歌で人々が手を取り合ってくれるようになってほしい」

 取材中はジョークを飛ばしまくり、そしてふと深い目をして歌を語り出す。万華鏡のような輝きの人だった。

(5月16日掲載、文:田中美絵・写真:南條良明)

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