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「芸術は、命がけ。」
 草間彌生が語る仕事-3
写真
前衛芸術家が背負う宿命

私の芸術とは何か

 「人間の世界や宇宙は、どういうものであるか」。この深遠な問いに畏敬(いけい)の念を持ち、自分の表現で分け入っていきたい。創造的な姿勢を持って開拓したい。私にとってはその人生観を花開かせていくことが仕事であり、生きることなのです。自分がこの世に生まれてきたのはなぜか、私の中からあふれてくる表現はどのような意味があるのか。ただ真摯(しんし)に一生懸命にそこへ向かっています。その求道を休んで精神的に貧しくなってしまうと困るので、毎日毎日制作に没頭しているのです。

 ニューヨークで活動した約17年間、私は絵を描くだけではなく立体の制作も手がけ、また人間の本質や平和への希求のために「ハプニング」と呼ばれる行動も起こしました。芸術への思いは強く、文学や演劇にものめり込み、ニューヨークでは、向学心に燃えて制作、読書に明け暮れていました。自分でミュージカルの脚本も書き、会社を設立して多くの団員を抱えたこともあります。「人間とは何か」という芸術が背負うテーマを追い求めて、他の誰でもない私の表現を続けました。

 ニューヨーク大学などの美術部の学生たちは、私の活動を美術や哲学の学びの素材とし、欧米のメディアや評論家の私への評価もゆるぎないものになっていきました。彼ら自身にも芸術への希求があり、またそれは「個」がもたらすものだという認識があったと思います。約17年間、私はただ夢中で制作し、学び、闘う激しい時間を生き抜いてきたのです。そしてニューヨークには、そんな前衛芸術家を受け入れる自由がありました。

苦しくなるような
制作へのあこがれ

 私が1973年に帰国したのは、体調を崩したからでした。回復したら戻るつもりで、ニューヨークのアトリエもそのまま残してきたのです。久しぶりの日本は驚くほどの変化を遂げ、私の記憶にあった美しい情景はかき消えていました。

 また、ニューヨークでの私の芸術活動を理解できなかった日本のメディアは、歪曲(わいきょく)した報道で世の中に誤解を植えつけていたのです。今思えば、20年も30年も先に行ってしまっている私の前衛芸術活動が、秩序や慣習を重んじる日本社会で反発を受けたのはやむを得ないことだったのでしょう。両親や親族への風当たりや中傷は強かったらしく、「アメリカに渡って破廉恥な行動をしている」と誤解された娘の存在は、親族を苦しめただろうと思います。

 すぐにでもニューヨークに飛んで帰りたかったのですが、健康状態が思わしくなく、私は病院での治療を受けていました。そして改めて出会ったのが「日本語」です。この表現によって、造形美術では探り得なかった私の存在の別の一面に光を当てることができる。私は自己の分野を開拓し、たくさんの小説や詩を書き、それらをまとめて出版しました。新しい魂の位置に自分を立たせる文学にも芸術の道を見いだしたのでした。(談)

くさま・やよい ●前衛芸術家・小説家。長野県生まれ。子供の頃から水玉と網模様をモチーフに絵を描き始める。1957年渡米。巨大な平面作品など多くの作品を制作して高い評価を得る。また反戦運動や多数の「ハプニング」、映画製作などを行う。73年帰国。美術作品の制作発表を続けながら小説、詩も創作、83年小説『クリストファー男娼窟』で第10回野性時代新人文学賞受賞。94年から野外彫刻を手がける。98〜99年アメリカ・日本で大回顧展が巡回。他に国内外で個展多数。第50回芸術選奨文部大臣賞、外務大臣表彰、朝日賞、紺綬褒章、高松宮殿下記念世界文化賞、文化功労者顕彰など受賞多数。全世界100カ所の美術館に作品集蔵。公式サイト http://www.yayoi-kusama.jp