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「職人でいる覚悟」
 山下達郎が語る仕事-1
写真
音楽で食べられるか

僕たちの時代に
音楽の波が押し寄せる

 ポピュラーミュージックが一番というか、音楽が文化の中心だった時代がありました。1950年代から60年代、70年代とそれが続くのですが、特に60年代は、ステレオやLPレコードの出現によって音質が革命的に進化したのです。そしてビートルズに代表されるロックンロールが流れ込んできた。

 その時代に僕は小・中・高と一番多感な時代を過ごしたので、音楽が最も大事なものでしたね。レコードを聴くためには家に帰ってその場にいないとダメだから、音楽と対峙(たいじ)し集中する。するとそこに「ミクロコスモス」が出現するわけです(笑)。一人でそれと向き合っていると宇宙の果てまで連れて行ってもらえるような深い感動がありました。僕は浴びるように音楽を聴いていた子どもです。

 中・高と6年間ブラスバンドにいて、ドラムとパーカッションだけは先生に習いましたが、それだけです。友人たちとバンドを組んだりして音楽は楽しかったけれど、ミュージシャンになろうなんて考えてもいなかったし、アカデミックな教育も受けていません。それでも時代の力は大きかったというべきか。中学を出るまでは理系志望だったのですが、高校でドロップアウトして。音楽著作権などを学ぼうと大学へ行きましたが、わずか3カ月で挫折。結局音楽そのもので生きていきたいという誘惑にはあらがえませんでした。

 僕たちは70年安保という政治争乱に巻き込まれた世代です。既成の価値観に強い反発があり、音楽が文化の主流という時代の中で、人生に関わる音楽のパワーが今とは全く違っていて、ドロップアウトする人間はほとんどがミュージシャンか、その関係者になっていきました。もし僕があと3年早く、あるいは3年遅く生まれていたら絶対にミュージシャンにはなっていなかったでしょう。時代が僕を音楽の道に引き入れたのだと思いますね。

「30歳までにめどを」
親の言葉が胸にあった

 スタートは「シュガー・ベイブ」というバンドです。「SONGS」というアルバムも出たのですが、そのレコード会社が3カ月でつぶれたために、僕らは一銭の印税ももらえませんでした。バンドの仕事は不定期だから、アルバイトもできなくて困窮しました。その時にCMで拾ってくれる人がいて、3時間で曲、編曲、歌唱をやって15秒CM一本を仕上げ4万円ちょっともらった。それが人生初の音楽収入(笑)。

 その後CMで使ってくれる人が増え、何とか食べられるようになりました。ほかにも食べるためなら、コーラスボーイ、作曲、編曲など何でも引き受けましたが、その経験が後になって自分の身を助けてくれた。音楽業界のさまざまな注文に懸命に応えたことが、結局は僕を育ててくれたと思います。

 音楽という予想もつかない世界に入り込んでいった一人息子に、両親は「30歳まではいい。でも30歳になったら、これが自分の一生の仕事だというめどをつけろ」と言い続けてくれたので、食べるための音楽って何だと考え、僕はアーティスト気分で浮かれなくてすんだのだと思います。(談)

やました・たつろう ●シンガー・ソングライター/音楽プロデューサー。1953年生まれ。75年バンド「シュガー・ベイブ」としてシングル「DOWN TOWN」、アルバム「SONGS」でデビュー。76年アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビュー。80年発表の「RIDE ON TIME」が大ヒットとなりブレークする。アルバム「MELODIES」(83年)に収められた「クリスマス・イブ」が89年にオリコンチャートで1位を記録。20年以上にわたってチャートイン。日本で屈指のクリスマス・スタンダード・ナンバーとなる。84年以降、竹内まりや全作品のアレンジ及びプロデュースを手がけ、またCMタイアップ楽曲の制作や、他アーティストへの楽曲提供など幅広い活動を続けている。