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「人には、社会の中の分担がある」
 よしもとばななが語る仕事―1
写真
幼少からサバイバルモード

自分で生きなければと
真剣に職業を考えた

 私は、片方の目がよく見えなかったこともあって、小さい時から、自分は人よりも生きていくのが大変なんだろうと分かっていました。親がいても姉がいても、見えない私の代わりを誰もできるわけではないし、身体的な危険はいつもある。でも、もう片方の目は見えているから、ある程度友達とも遊んだりしなくてはなりません。自転車に乗ったり、屋根の上を移動してみたり。今思えば、私なりの挑戦だったかも知れない。

 私の考えは常にサバイバルモードで、将来誰かに食べさせてもらおうとは思いませんでした。なので、職業については小学校に入る前から考え、この仕事はできない、これはダメだろうと消去法で、結果的に「これしかできない」と文章に行き着いたのですね。

 書き始めたのは5歳頃からでしたが、それをはっきり覚えているのは、自分で決めたからです。年の離れた姉は漫画家になると宣言していたし、両親には特に何も言わず、自分は文章で食べねばならないと思い定めました。

学生時代から
持っていたプロ意識

 自分はもう小説家だと思い、夜に文章を書く生活サイクルを中高生時代から始めていました。なので、学校ではとても起きてはいられません(笑)。朝は何とか家を出て、アップダウンのある道を自転車で40分間かけて高校に行くのですが、遅刻した上に疲れ切ってしまい授業中は寝ています。お昼ご飯を済ませてはまた眠り、部活をやって恋人の家に寄り、うどんなんかをごちそうになって、自宅で夕飯を終えたらまた眠る。そして夜中に目覚め、執筆するわけですね。ほとんど書くための生活でした。

 私にとっては文筆業が仕事ですから、友人の作文を代筆してパンや飲み物を買ってもらいました。6人分を請け負って、もちろん依頼通り6通りに書き分ける(笑)。さらに占いをやってお金を稼いでもいたので、高校時代すでに、私は何とか食べていけるかもという感触を持っていましたね。授業中、たまに目が覚めている時は好きな本を読んでいましたし、高校生だったというより、自分の仕事を続けているという意識だったのです。

 このままのやり方で進もうと考えて、大学には行かないと親に話しましたが、「それではアルバイトや就職でかえって時間を取られてしまうから、大学へ行った方がいい」と言ってもらい、モラトリアムな時間を延長することにしました。入学後は、昼の授業より夜の学校である酒場へ主に通い(笑)、いくつか好きな先生のゼミだけちゃんと出席していました。

 大学では面白い人がいてすっかり目が覚めました。商売を始めた同級生がいて、私でも名を知っているようなアンティーク店を共同で経営していました。相手はかなり年配なのに全く対等で、私は彼らから、社会に出るとか自分で仕事をやるとはどういうことか、時間の融通はどうするかなど、仕事のさまざまを学びました。「アンティーク屋として、仕入れた品の中で自分が欲しい物でも、絶対に自分は手を出さない」という考え方は、とても印象に残っています。仕事には、「こうであるべき」という気概がいるということですね。(談)

よしもと・ばなな ●1964年東京都生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。87年に小説「キッチン」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でBunkamuraドゥマゴ文学賞など国内外で多くの賞を受賞している。近著に『人生の旅をゆく 2』『さきちゃんたちの夜』『スナックちどり』『花のベッドでひるねして』などがある。