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「まだ、こんなものじゃない」
 小林公一が語る仕事―2
写真
「情」と「理性」のどちらも

力ある演出家の説得に
技を工夫した

 私が宝塚歌劇「星組」のプロデューサーになったのは、30歳をわずかに過ぎた頃でした。演出家が自身の作品に懸ける思いというのは大変なもので、構想や要求はどんどん高くなっていきます。予算や装置を管理する立場の私は、その熱意を大事にしつつ、実現可能な範囲まで抑えていかなければならない。しかし、当然ほぼ全ての演出家は私より年配で、経験も知識もとても太刀打ちできません。若輩の私は、やはりひたすら状況を説明し、理解していただくほかはありませんでした。

 ただ、演出家も人によって様々ですから、私も体験からいくつかの技は考えました。一つは「土俵を最初に見せる」。熱意が頂点まで燃え上がってしまってからでは遅いので、「この範囲で燃えてください」と先に提示してしまう。またある時は「分散」する。あふれてくる構想の中で、今回はここまでできる、残りは次の作品で実現しませんかと何となく泣きを入れながら(笑)、熱量を振り分けるのですね。飲みに行ってお互いの落としどころを探るのもしょっちゅうでした。

 それでも自分たちで最後に目指すゴールが、お互いに深く理解し合えているからぶつかれる。宝塚歌劇は、老若男女の全てに楽しんでいただける全方位の舞台でなければならないのです。それでは芸術的に甘い、もっと絞り込みたいという話もよく出てきますが、2500人のお客様が入る劇場を用い、一公演で十何万人もの人を動員するには、見る人全員が喜ぶ舞台を作る厳しさがありますね。

判断こそ最も
難しい仕事の力

 プロデューサーを経て宝塚歌劇団を離れ、数年ほど本社勤務をしてから、2000年に改めて劇団に戻りましたが、かつてのプロデューサー時代に多くの人との出会いを重ねてきたことで調整する力はついたと思います。しかし、責任のある立場になればなるほど判断が必要になります。これが実に難しい。誰かに聞きたくても、振り返れば自分一人(笑)。

 その難しさの中で、「感情を捨てながら、感情を持つ」ようにしています。「情」は大事です。しかしそれに流されると絶対にダメで、だからと言ってこの世界は「理」だけでも立ち行かない。例えばこの作品を上演すれば必ずお客様が入って、短期的な収益が上がる。「理」を取れば当然その作品を上演すべきでしょう。ただ、演じる生徒は宝塚歌劇の舞台に立ちたいという憧れがあって、音楽学校から必死に学んできます。そして立つことができたら、次はいっそう進化したいと願う。その思いをサポートするような環境を作ってあげなければなりません。育成を考えた時に、その作品でいいのか。今回は収益よりも生徒の「情」を優先するか。動くお金も大きいですから、いつも判断のバランスを綱渡りしています。

 今は音楽学校で先生をしている紫苑ゆうさんが、「ベルサイユのばら」のオスカル役で主演した時などは鬼気迫るものがありました。宝塚が好きだ、この仕事で生きるんだという思いは、多くの生徒の胸に燃えているのですね。退団した後も宝塚歌劇を誇りに思い、名を汚すまいとしてくれるほど。生徒も演出家もとにかく桁外れに熱いのです。その中で冷静な判断ができる力が、より求められるわけですね。(談)

こばやし・こういち ●宝塚歌劇団理事長。1959年大阪府生まれ。曽祖父の故・小林一三氏は阪急電鉄(株)や宝塚歌劇団を擁する阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創設者。82年慶応義塾大学法学部卒業後、阪急電鉄に入社。89年から宝塚歌劇団の制作部門で星組プロデューサーを務め、その後3年間の本社勤務を経て96年歌劇団理事に就任。2000年歌劇団総務部長、02年専務理事、04年から現職。また、14年から阪急電鉄の創遊事業本部長兼創遊統括部長も務める。