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「まだ、こんなものじゃない」
 小林公一が語る仕事―3
写真
舞台芸術には底力がある

100年間の縦横無尽

 私は4、5歳の頃から宝塚歌劇の舞台を見てきましたから、そろそろ半世紀になりますが、その間だけでも数え切れないほどの演目が上演されました。今年は宝塚歌劇100周年となり、その数は2倍近い。老若男女のお客様に楽しんでもらい、飽きずに来ていただけるようにと次々と新作を作り続けてきました。仕事としては、実はこんなに大変なことはありません(笑)。

 上演してみて興行成績のいい演目だけをロングランで、というやり方を取らなかったのは、まず宝塚歌劇には五つの組があり、公演がきっちりと予定されているからです。途切れることなく創作するために、時代も国籍も限定することなく取り込み、恋愛もの、活劇、人気ゲームの舞台化とありとあらゆる作品に挑んできました。

 私がプロデューサー時代に担当した作品で特に記憶に残っているのは、建て替えを終えた現在の宝塚大劇場のこけら落とし公演である「PARFUM DE PARIS」というショーです。衣装デザインを世界的に有名なファッションデザイナーの高田賢三さんにお願いし、何度もパリのご自宅にも伺って打ち合わせをしました。その高田さんの色彩感覚が今までに経験したことがないほど素晴らしかった。花柄をふんだんに使った明るさ。ショーが始まり照明がパッとつくとお客様が、「おーっ」とどよめくのです。

 こんなに喜んでいただけるならどんな苦労もするぞと、そんな気持ちになった。感動するというのは人間にとって本当に大事なのだと思いますね。それを心に刻んだのは、阪神淡路大震災の後でした。

電車の全開通を待たず
お客様は劇場へ

 1995年1月に阪神淡路大震災が起きた当時、私は宝塚歌劇団を離れ、歌劇とは関係していないセクションにいました。その日は月組の前売り券発売日で、早くからお客様が並んでいらっしゃったと聞いています。その3年前に劇場を建て替えていたのは幸運で、もしまだ旧大劇場のままだったら多分もっとぺしゃんこになっていて、復旧も相当遅れたと思います。

 そして震災2カ月後の3月、1回目の復活公演がかないました。道路や鉄道などの交通機関がまだ全部復旧していない頃で、お客様は劇場へお越しになるだけでも大変なはずですが、おしゃれして駆けつけてくださった。幕を上げることができ、私たちも感動しましたが、お客様の拍手もまた違った。こうして舞台を見たからといって復興が進むわけではないですが、それでも宝塚歌劇だけでなく、エンターテインメントやスポーツがあるから、人というのは力が湧いてくるんだということを目の当たりにした一日でした。底力のあるすごいものに携わっている喜びがありました。

 100年続けてきてなお、「いつまでも続けてください」と言われるのがうれしくて、今度はこちらに力が湧いてきます。今年は100周年で注目されていますが、こういう世界ですから101年目には、やっぱり反動はあると思います。それをどう食い止めて次のステップに向けて頑張っていけるか。宝塚の伝統は守らなきゃいけないけれど、その中でいろいろな変革、様々な舞台の制度などを変革しながら、映画やゲームなどとのコラボレーションにも挑戦していきます。

 仕事は力を合わせるから面白いし、これから頑張ろうと言えばうなずく仲間がいるから、生きがいになるのだと感じています。(談)

こばやし・こういち ●宝塚歌劇団理事長。1959年大阪府生まれ。曽祖父の故・小林一三氏は阪急電鉄(株)や宝塚歌劇団を擁する阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創設者。82年慶応義塾大学法学部卒業後、阪急電鉄に入社。89年から宝塚歌劇団の制作部門で星組プロデューサーを務め、その後3年間の本社勤務を経て96年歌劇団理事に就任。2000年歌劇団総務部長、02年専務理事、04年から現職。また、14年から阪急電鉄の創遊事業本部長兼創遊統括部長も務める。