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「いくつもの仕事を当然とする」
 手嶋龍一が語る仕事―1
写真
故郷がくれた異端の体験

生まれた炭鉱町は
ドラマ人間模様の舞台

 北海道の芦別町(現芦別市)で独立系の炭鉱を営む経営者の家に生まれました。ですから真夜中にサイレンの音を聞くと今でもぞっとします。炭鉱はいつも落盤やガス事故と隣り合わせでした。父は飛び起きて身支度をし、母が必死で止めるのを振り切って真っ先に坑内へ入っていく。炭鉱ではそれが日常の暮らしでした。石炭こそ戦後日本の復興を担う象徴であり、それゆえ「黒いダイヤ」と呼ばれていました。

 そんな父の元には、右翼の大物から旧日本軍の高級参謀、さらには労働組合のボスまで、あらゆる人々が出入りしていました。子どもから見ても人間臭い魅力にあふれた人たちでしたが、父はごく普通に接していた。ただ、顔を真っ黒にして訪ねてくる坑内作業員たちは別格でした。床の間を背にした上座に据えて、父がお酌をしていたものです。ただ無言でそうしていた後ろ姿を覚えていますが、地底で命懸けで仕事をする仲間への気持ちをそのようにして伝えていたのでしょう。

 北の大地は桁外れなスケールをもつ悪ガキを数多く輩出しました。戦争後に中国大陸から移り住んできた引き揚げ者の子どもたちでした。戦後生まれの僕の世代は、悪ガキぶりでは引けを取らなかったのですが、ただひとつそんな兄たちの世代にかなわない点があった。「やつらは大きな顔をしているが、しょせんは狭い北海道の生まれだからなあ」と大連やハルビン生まれの世代によく言われたことです(笑)。当時の中国は日本と国交もなく、文化大革命の動乱のさなかでしたが、われら北国の若者は中国に潜り込み、周恩来総理と会見して、ようやく兄たちの世代を見返しました。

 想像を超える世界は確かに存在している。若くして接した人々の暮らしと人生は、仕事とはこうあるべきだという常識を粉々にして、なにか身軽になったように感じたなあ。

子どもっぽい大人の
社会に戸惑った

 1960年代に入ると、石炭に代わって石油がエネルギーの主役となり、北海道の炭鉱は没落していきました。高度経済成長の軌跡は、これと鮮やかなコントラストを成しています。僕の少年時代は戦後民主主義や経済成長、さらには受験戦争とは縁遠いものでした。

 大学を出てNHK記者になったのですが、新人研修に参加してカルチャーショックを覚えました。実際の大人の世界は、なんという子どもじみたところかと。放送原稿とはこう書け。経費の精算はこうしろ。警察には愛想よく接しろ。北の大地とは異質の世界でした。しかし、すぐに辞めるつもりでしたから上司に逆らったりはしない。それほど子どもではありませんでした。発想を切り替えることにしたのです。これは全部僕のために、先生役も同期生もドラマのセットを用意してやってくれているのだと(笑)。

 偏差値を尺度に進学先を決め、人気度ランキングを頼りに就職する。今大学で預かっている学生には、それがいかに空しい選択か折に触れて話しています。入社試験の面接で「御社には小さい頃から入りたいと思っていました」と言って、試験官の歓心を買うのはどこか間違っています。仕事は自らの手でつかみ取るものです。(談)

てしま・りゅういち ●外交ジャーナリスト、作家、慶応義塾大学大学院教授。北海道生まれ、1974年NHK記者となり、政治部、ワシントン特派員を経てハーバード大学・国際問題研究所フェローに招聘(しょうへい)される。ドイツ支局長、ワシントン支局長を歴任し、9・11同時多発テロ事件では11日間連続の中継放送を担う。2005年NHKから独立し、発表したインテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』『スギハラ・サバイバル』がベストセラーに。主な著書に『たそがれゆく日米同盟』『ブラック・スワン降臨』など。