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「自分を知らずに終わるな」
 安藤優子が語る仕事―1
写真
いつ本気になったのか?

カメラの前に立っても
アルバイト気分だった

 思いがけず報道の仕事に携わってから、気づかないうちにもう35年も経ってしまった(笑)。行き当たりばったりで突っ走る性格ですから自分でも信じられないのですが、それだけ追いかけがいのある仕事だということでしょうか。

 でも大学時代には、いつかホテルのマネジャーになりたいと、米国留学を目指してアルバイトに精を出していました。そこで偶然テレビ局の人から声をかけられ、報道番組のアシスタントとして雇ってもらったのですが、司会者の横でただうなずいている、資金稼ぎアルバイトの感覚でした。取材をさせてもらえることがあっても、「テニスに行けなくなった」とぶつぶつ文句を言う。職業意識などほとんどなく、在籍している大学卒業を後回しにしながら、ただ、「できないのか」と言われるのが悔しくて、負けん気だけで意地を張っていた20代でした。

 そんな私に、生まれて初めての海外生中継の仕事が回ってきます。まだ共産主義政権下にあったポーランドの首都ワルシャワから、食料さえ配給制で日用品も手に入らない厳しい物不足の中、人々の現状はどうか。街頭で声をかけ続け、トイレットペーパーやミルクが欲しいといった不満を予想していた私に、ある若い母親が「平和が欲しい」と答えたのです。私がぬくぬくと生きてきた日本とは違う現実、平和への意識の高さ。少しだけですが、今自分のやっていることが「自分にとって」大切なことなのかも知れないと感じる出来事でした。

 それでも「この仕事に人生をかけるぞ」と決心したわけでもなく、ただ、もう少しやってみたいと直感する自分がいました。棚上げしていた大学を30歳で卒業し、報道のトレーニングをしていない素人だというコンプレックスも抱えたままでしたが。

リポートがつまらない。
そう言われ続ける

 「なぜ、できないんだ」「下手くそだ」と言われない日はないくらい、現場の取材ではよく叱られました。今思えば、負けん気な私の気性を知っていて育てようとしてくれていたのかも知れませんが、私の葛藤は大きく、「辞めてやる」と「やってやる」の二つの激しい感情を行ったり来たり。

 ある時、海外の取材で担当のプロデューサーが「本当に、何で君はカメラの前(先)に行かないんだ」と言うのです。「君がやっているリポートが全く面白くないのは、次に何が待っているかがもう予測できるからだ」って。衝撃でした。確かに私はカメラの後を追いかけて「これはこうです」と説明している。「逆だ。カメラが必死で追いかけるリポーターでなければどうにもならない」。それは、自分で何が見たいか、何を伝えたいかを発見していかなければならないという意味だったのですね。自分が羅針盤であるってことでした。

 もちろん、その要求にすぐに応えることができるほど仕事は甘くない。私は、最初から才能があふれ出てうまくいく人なんてこの世にいないと思っています。いい仕事だと認められるのは、何度も何度も失敗しながらやっていくうちに訓練されるたまものです。何十回もそれぞれの仕事の現場で叱責(しっせき)され、悩み、工夫して、ジリジリと上っていく階段、少しずつ分かってくる実感です。時間はかかる。でも、試行錯誤から一度つかんだら、それは自分を知って活(い)かす力を一つ得たことになる。現在の仕事のためだけでなく、生涯の自分を貫く基盤ですよね。(談)

あんどう・ゆうこ ●ジャーナリスト、ニュースキャスター。1958年千葉県生まれ。88年上智大学国際学部卒業、2008年同大大学院修士課程修了。大学在学中からキャスターやリポーターとして報道番組に携わる。「ニュースステーション」「CNNデイウォッチ」「ニュースJAPAN」「FNNスーパータイム」などを経て、00年から「FNNスーパーニュース」メーンキャスター。ジャーナリストとして「フィリピン政変」のリポートでギャラクシー賞個人奨励賞を受賞。著書に『以上、現場からでした。』『ひるまない』他がある。