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「弱さもさらけ出し、次を考える」
  北島 康介が語る仕事―3
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はい上がるのが僕らしい

ただ一人で自分と向き合う

 北京オリンピックで目標を達成した後、過酷な競技生活に一つの区切りがついて、自分はこれからどうするのか。一度自分をリセットするために、まずは環境を変えようと思い、アメリカで住まいを探しました。

 水泳をやめたいとは思わない。ただ、また次のオリンピックに向けてさらに苦しさが増すであろう4年間を、この時点で現実的に考えることはできなかった。それに、水泳以外ならどんな仕事に挑戦できるのか。考えは堂々巡りをし、簡単に答えなど出ない。近くにある南カリフォルニア大学(USC)のプールへたまに出掛けて行き、目的もなく泳ぐ日々でした。

 このUSCには、多くのメダリストを育てた名スイミングコーチ、デイブ・サロ氏が居ました。答えが出ないまま相談に行くと「気が向いたら明日からでも来ればいい」と言う。僕はプールで与えられたメニューをこなしますが、女子選手に抜かれても悔しくもない(笑)。デイブコーチは僕をゲストスイマーと呼び、本気じゃないならコーチはしないというスタンスです。やがて体が感覚を取り戻し、できなかったことができるようになり、やっぱり僕は泳ぎたいとシンプルな答えにたどり着いた2009年秋、迷い始めてからおよそ1年が過ぎていました。

 アメリカでのトレーニングで驚いたのは、世界レベルの選手たちが水泳を心から楽しんでいたことです。もちろん競技に勝つための練習はしますが、がむしゃらに記録や結果だけに向かってはいない。まるで「人生にスポーツがある喜び」を感じているように見えるのです。オリンピックなどを目指して切磋琢磨(せっさたくま)しながらも、成績だけではなく、もっと純粋にスポーツを楽しんでいるという印象でした。泳ぐことは本当に楽しいと人に伝えたい。僕にもそんな気持ちが生まれていました。

スポーツの貢献力に気づく

 日本を離れている間に、母国の若い選手は次々と良い記録を出していました。ブランクのある僕は、弱い自分の現状をさらけ出してそこからはい上がっていこうと思いました。かつてのチャンピオンのプライドなんて意味もないと。デイブコーチの指導方法は、目標は自分で決めればいいというスタイルでした。コーチに任せますから強くしてくださいといった依存は通用しない。僕は、自分の水泳を自分で考え競技に戻ろうと決心しました。

 アメリカでのトレーニングに励んでいた頃の11年3月11日、あの東日本大震災が起きました。刻々と伝わる悲惨さを見て、自分はアメリカで泳いでいていいのか、日本に戻ってするべきことはないのか、そんなことばかり考えていました。直後の4月9日、世界水泳の代表選手選考会が震災のチャリティーマッチとして、いつもの東京ではなく浜松市で開催されることになりました。

 参加した僕は泳ぎながら肉離れを起こしてしまった。痛みをこらえて2位通過。普段だったら途中で棄権していたかも知れないけれど、泳ぐ姿で自分の想(おも)いを少しでも届けられたのではないかと感じました。そしてこの時、競技者としてのスイッチが再び入ったような気がします。まず、ロンドンオリンピックで勝つために精いっぱい泳ごうと決めました。(談)

きたじま・こうすけ ●(株)IMPRINT代表取締役。1982年東京都生まれ。平泳ぎで2000年シドニーオリンピック100メートル4位、04年アテネオリンピック100メートル・200メートル金メダル、08年北京オリンピック100メートル・200メートル金メダル。日本人初の2種目2連覇を達成。12年ロンドンオリンピック4×100メートルメドレーリレー銀メダル。16年に引退。現在はコカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当・オフィサーのほか、スポーツに寄与する活動やビジネスを展開。東京都水泳協会理事。