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「シュートなくして、ゴールなし」
  川淵 三郎が語る仕事―3
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会社は、仕事力の学校だ

出向で経営ノウハウをつかむ

 若い頃から、上司に対しても意見を言おうと自分に課してきた私ですが、もちろんそのためには仕事の手を緩めまいと思っていました。例えば上からハードルの高い仕事を与えられたなら、会社員として越えるのは当然です。ただ、私は仕事のやり方まで細かく縛られるのは嫌で、「全てを会社に捧げたわけではない。自分で工夫して結果を出す」と考えていました。そんな私は、生意気だけど業績は悪くないという社員だったと思います。

 そして、本社内で順調に課長になり、次は部長だと意気込んでいた43歳の時に下りた辞令は、ある卸問屋への出向。いろいろ勉強してこいと送り出されました。メインのルートから外されたのは本当に悔しかった。しかし、経営難に陥っていた卸問屋を経営者の立場で立て直す仕事は貴重な学びの場となりました。卸先の問屋のオヤジさんたちは海千山千のツワモノぞろいで、納品や支払いなども私の勤務していた古河電気工業の得意先取引とは全く別物。ルールが違うその懐に飛び込んで、倒産を回避しながら会社を存続させるにはどうしたらいいのか。泥臭く苦しみながらつかんだ経営ノウハウは、後にJリーグを運営する力になりました。

 今、若い人は入社して数年で迷うと聞きます。この会社にずっといて、自分のやりたいことができるのだろうか、自分の能力を引き出せるのかと。転職や起業を考えるのも決して悪いことだとは思いません。ただ、今の仕事が自分にとってどんな力をつけてくれているのか、分析してみたらいい。仕事は複合的で、専門力、マネジメント力、交渉力、営業力、企画力、そして経営力など、必要な能力がある。自分は今どこにいて何を身につけているのか、意識することが大事です。企業や組織の中で、自分が手掛けている仕事はどの分野か、考えてみることです。

51歳での手痛い左遷

 卸問屋出向などを経て、私が古河電工名古屋支店の金属営業部長として5年ほど経った頃です。次は本社に戻って営業部長、そして、いずれは取締役になれるかもしれないと考えていた51歳の時、子会社への出向という辞令が下りました。レギュラーメンバーからいきなり外されて放り出されたような、この日のショックは今も忘れられません。ここまで頑張ってきたのに、サラリーマン人生の先が見えたという思いで、頭が真っ白になりました。

 その同じ時期に、日本サッカーリーグ(JSL)の総務理事にという依頼が来たのです。JSLは各企業チームの部長たちがプロ化について議論し始めていました。会社員としての目標を見失っていた私は、自分には何もないという空虚な気持ちでしたが、残りの人生をサッカーに懸けようと思い直します。今では想像もできませんが、25年ほど前、日本のサッカーは人気がなく、競技場はいつもガラガラ。世界では一番人気があるスポーツなのに、あまりにも残念な状況でした。だからこそ改革への情熱が湧いたのです。

 Jリーグ創設は会社勤めをはるかに超える壮大な事業でした。でも、会社で身につけた様々な仕事の力が根底にあったから、困難に立ち向かうことができた。若い人も、自分が持っていない多くのことを今の会社で身につけて欲しいですね。(談)

かわぶち・さぶろう ●日本サッカー協会最高顧問。1936年大阪府生まれ。61年に早稲田大学卒業後、古河電気工業入社。64年サッカー競技で東京オリンピックに出場。その後サッカー日本代表監督などを経て91年Jリーグ初代チェアマンに就任。2002年に日本サッカー協会会長就任、08年から現職。日本トップリーグ連携機構会長、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザーなど肩書多数。著書『独裁力』『「J」の履歴書』ほか。