著書『五体不満足』が
突きつけてきた痛さ
子どものころから、やりたいことは何でもやる性格でした。周囲もそれを当たり前のこととして支えてくれたし、わがままな部分もたっぷり抱えて成長したと思います。両手両足に障害があるのは不便でしたけれど、別に不幸ではないし、僕は僕。それはいつもずっと変わらない感覚です。
障害者の本=悲壮な物語。そんな固定観念を崩したいと思ったからこそ、大学在学中に本を書いてみないかとお誘いを受けた時にも、お引き受けしたのです。スポーツもし、けんかもし、勉強の苦労もしたたくさんの思い出を詰め込んで『五体不満足』は世に出て、本当に多くの方に読んでいただいた。
でもこれが、僕の迷走の始まりになりました(笑い)。本の中では、無意識のうちに明るく元気な自分ばかりを書いていたのかもしれません。その存在が勝手に一人歩きしていったのです。人に勇気を与えてくれる主人公、10歳の「オトくん」として。
確かに書いた内容は事実だけれど、出版した時点で僕は20歳をとうに超え、就職はどうするか、将来は何で生きていくかと悩む普通の大学生でした。わがままは相変わらずだし、すぐラクなほうへ逃げたがる怠け癖も直っていないし。でも、そんな生身の現実の僕とは違う幻影がどんどん膨れ上がる。メディアに取材されるたびに「明るい障害者」は、やがて私生活まで追われるようになりました。
自分で自分の中身がないことをよく知っている。でも実体のない乙武洋匡が別にいて注目を集める苦しさ。褒めたたえる人も数多くいれば、心無い言葉を投げる人もいる。等身大の僕を知っている周囲の支えがなかったら、つぶれていたかもしれないですね。
期待される役割ではなく
「自分の仕事」を求めた
『五体不満足』で世に出てしまった僕は、いつのまにか「バリアフリーの旗手」のような期待をされるようになりました。確かにその重要性はよく分かる。もっと世間に福祉の大切さを訴える人が必要で、僕がその役割にうってつけであると期待される空気も伝わってくる。
でもそれに甘んじたら、僕の将来は限定されていくだろうという直感がありました。僕が福祉とはまったく異なった分野で仕事をすることが、本来の意味でのバリアフリーではないのか。車いすに乗っていてもいなくても、仕事の結果で力を評価されるようになるべきではないか。そう決心して、大好きなスポーツを伝えるスポーツライターの仕事へ突き進んだのです。
ただ僕の場合、『五体不満足』の肩書があったからこそ最初から良い仕事のチャンスをいただけた。『Number』というスポーツライティングの世界では最高峰の雑誌で連載を持つなんて、大学を出たばかりの駆け出しライターにはあり得ないことなのに。同業者の方から面と向かって「お前にサッカーの何が分かるんだ」と言われたり、悔しいことも数多くありました。その時は傷つきもしたけれど、結局、いい記事を書くしかない。知らないで読んでいたらすごく面白い。おや、乙武洋匡が書いているのか。そこまで行くぞとがむしゃらになったのです。(談)
おとたけ・ひろただ ●杉並区立杉並第四小学校教諭。1976年東京都生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』(講談社)が多くの人々の共感を呼ぶ。スポーツライターとして活躍する一方で2005年4月、東京都新宿区の「子どもの生き方パートナー」に任命され、区教育委員会の非常勤職員として教育現場の問題を探り提言。07年4月より現職。主な著書に『残像』(ネコ・パブリッシング)、『五体不満足 完全版』『乙武レポート』『ほんね。』(共に講談社)、『しごと。』(文藝春秋)。近刊に『だから、僕は学校へ行く!』(講談社)、『大人になるための社会科入門』(幻冬舎)がある。公式サイト http://www.ototake.jp/
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