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「ぶれない」
佐藤琢磨が語る仕事-2
密度を積み重ねる
国籍の違いを超えた
一ドライバーでなければ

 日本で最初に鈴鹿レーシングスクールの門をたたき、スカラーシップ(奨学金)を取ってバックアップを受け、全日本F3への参戦、海外のレースへと僕の力は確実についていきました。いずれにしてもなるべく早く英国へ渡り、F1の世界を身近に知らなくてはと思っていたので、英国F3という現実的な目標を定めたのです。

 ただし、渡英してもいきなりF3に出場するつもりはありませんでした。伝統の英国F3には長い歴史があり、F1の直下に位置していると考えていたので、十分に準備を整えてから参戦したかった。当時は国際F3000などの上位カテゴリーもありましたが、僕の夢はF3からF1へダイレクトに進むことしかなかったのです。

 でもそのためにはファーストインプレッションが大事で、最初の1年、遅くとも2年目にはF3で勝利するという結果を出さないと永遠にリカバーできない。世界中から若いレーサーがやってきて競い、入れ代わりが非常に激しい中で、5年も6年もかけて勝っても誰も注目などしてくれないからです。

 英国F3に参戦するや否や、鮮やかに勝ちをさらう自分でなければならない。しかしドライビングに自信があっても、知らない土地で戦うことは甘くないはずです。ここで焦るのは良策ではないと直感していました。だから僕は最初にジュニア・フォーミュラーにもまれて、ブリッティッシュ・レーシングとは何かを徹底して学びたいと思ったのです。

 語学はもちろん、英国人の考え方、生活環境、習慣から文化まで学び、溶け込む努力を続けました。国籍が違う人間だと意識されることなく、一人のドライバーとしてだけ見てもらえるまで垣根を取り払ってしまう。そうすればいいチーム、いい環境で走れるし、自分の意思も伝わり大きなエネルギーになると考えました。プロドライバーとして最初のステップを完成しておきたかったのです。

信頼した人とだけ
仕事をしたい

 2000年、英国F3での1年目はとにかくスピードを見せなくてはいけない。もう10かゼロかの勝負をしました。優勝か、リタイヤか、オール・オア・ナッシング。でもその走りではチャンピオンは取れない。01年には自分の速さに強さの磨きをかけていかなければなりません。2年目も同じ走りをしたら、英国のスポーツ界は見捨てます。

 だからレースの内容については1戦1戦ごとに一つひとつ自分で確立していきました。そしてもう一つ、今もレースマネジャーである、アンドリュー・ギルバート・スコットに出会えたことが非常に大きい。1999年に初めて会った頃は、彼も現役のドライバーを正式にはリタイアしていませんでした。しかし、交友を深める中で意気投合し、00年に僕がF3に上がる時にマネジメントを引き受けてくれたのです。

 ビジネスの話よりもまず、純粋にF1を目指そうと言ってくれた彼と僕は「ボンド」、つまり結びついて二人三脚でやってきたのです。彼無しに今の僕はありえない。仕事を成し遂げるには、心底信頼できる人がどうしても必要なのだと思います。(談)

さとう・たくま ●F1レーサー。1977年東京都生まれ。高校時代に自ら自転車部を創立し、94年インターハイ優勝を果たす。早大進学後も96年に全日本学生個人戦で優勝、同年レーシングカートでデビュー。98年全日本F3選手権参戦を経て、渡英。2000年イギリスF3選手権シリーズ3位、01年F3タイトルを獲得、さらにF3世界一決定戦のマールボロ・マスターズとマカオGP優勝を成し遂げる。02年よりF1世界選手権に参戦、日本GPで5位入賞。04年アメリカGPで表彰台に上り、ドライバーズ選手権8位。06年より新チーム「スーパーアグリF1」に移籍。07年スペインGP8位、カナダGP6位入賞。