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「おさまってたまるか」 中村勘三郎が語る仕事―1
形を持つ人だけが、形を破れる
19歳の
カルチャーショック

 初舞台が3歳でしょ。他の職業の家庭では考えられないほど早いうちから家業の真ん中にいますから、芝居をとったらゼロ、何も残りませんよ(笑い)。父の十七代目勘三郎は実に稽古(けいこ)の厳しい人でしたし、私にもそれが大事であることは伝わってました。

 ところが19の年に、唐十郎さんの、あの巨大テントでの「下町唐座」を見て心底驚いてしまった。何だこれは。自分がやっている歌舞伎座での落ち着いた空気とはまったく違うじゃないか。でも待てよ。昔の歌舞伎はこうだったのではないか。

 とにかく民衆がうごめいていて、掛け声が飛び交い、私が休憩時間に立って戻ると席が無くなっている。ものすごく猥雑(わいざつ)な空間で、人間のナマな感覚が支配している。初めて別世界を見た私は興奮して、これしかないと親父(おやじ)に話したんです。返事は「百年早い。そんなことを考えてる間に百回稽古しろ」でおしまい。親父自身も実は数々の新しい試みをしてきた人です。アメリカへ公演に出掛け、父と私で「連獅子(れんじし)」を踊ったときの冒険するような思いも忘れられません。

 が、父の言う百年早いってなぜだったか。それがいまはとてもよく分かります。古典をしっかり学んで自分の形を作れ。19や20の未熟者が土台もないのに新しいことをやるな、と。私も自分の息子たちには新しい事よりまず古い芝居を稽古して欲しい。「形を持つ人が、形を破るのが型破り。形がないのに破れば形無し」。かつて無着成恭さんがそう言っていました。

時は必ず熟すもの

 テントでの芝居をいつかやりたいという願望は消えなかった。それが5年前の平成中村座立ち上げの原点ですね。浅草の隅田公園に江戸時代の芝居小屋のような仮設劇場を設営して「法界坊(ほうかいぼう)」をかけましたが、それはやはり古典を続けてきたからこそ、お客様に喜んでいただける破り方ができたのですね。

 形というのは、ピタリと決まる体と手の位置が、その人にしかできない独自の美しさまで到達したもの。そこに役者の心が入るのです。これは松禄のおじさんに習ったのですが、おじさんは当時もう体が悪く、足も痛かった。

 「この形ってのも、いま俺(おれ)はできねえ。昔は瞬時にいい格好ができたが、もう痛くてだめだ。ただ、いまのほうが心はできるんだ」

 役者というのは何と旬の短いものか。体と心、どちらもきっちり自分のものになる時期を自分で獲得しなければならないのです。しかし形はまた頼りすぎると怖い。何のためにやるのかという意味がはっきり分かっていないと、そこにあるのは肉体だけだ。体で分かり、心で分かり、そして演じる機会が訪れる大切さ。焦ったって本人が不安なら、見ている人は面白くも何ともないんですよ。機は熟す。身のうちから突き上げるように満ちてくるものなのです。(談)

なかむら・かんざぶろう ●1955年東京生まれ。59年歌舞伎座「昔噺桃太郎」で五代目中村勘九郎として初舞台。69年父勘三郎と「連獅子」を踊り話題を呼ぶ。79年父と初のアメリカ公演。94年「コクーン歌舞伎」をスタート。2000年浅草・隅田公園内に仮設劇場「平成中村座」を立ち上げる。04年平成中村座で「夏祭浪花鑑」のニューヨーク公演を大成功させる。05年3月、十八代目中村勘三郎襲名。