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「道具は走りながら拾う」
 中村哲が語る仕事-1
写真
汗して働くのが大人

港湾労働の男たちが
いかにも立派に見えた

 生まれ育った九州には筑豊炭田があり、その積み出し港が若松港で、私はその町で育ちました。船が入ってくると男たちが争って石炭を積み込んでいく。「給水」といって水も運んでおり、懸命に体を使って働く大人は偉いものだと子ども心に思っていました。当然、自分もそうなるつもりでしたね。今も、汗して働くことが仕事の原点であるという思いは変わりません。

 小学校3年生ごろから昆虫に夢中になり、生物学者のファーブルに憧れて、大学は農学部の昆虫学科に行きたかった。しかし父が厳しい昔の男で、「うちの子は日本の人のお役に立つために生まれてきたのだ。たかが虫ごときを学ぶなんて」という教育でした。その頃は無医地区が多かったので取りあえずは医学部に進学し、あとで農学部に転部しようとたくらんだのですが(笑)、でも、親が借金してまで学費を払い、高い医学書を買い与えてくれたことを思うと、裏切れませんでしたね。本当は山林を一つ持って、そこで虫と一緒に暮らすのが私の夢でしたが。

医師としての役割を
果たせなかった悔い

 医師になって日本の診療所で仕事を続けていた頃、1978年に登山の魅力と現地の蝶(ちょう)に引かれて、福岡の山岳会(福岡登高会)のティリチ・ミール遠征隊に参加しました。ティリチ・ミールはアフガニスタンとパキスタンの国境を隔てたカラコルム西方のヒンドゥクッシュ山脈の最高峰。その美しさと雄大さに圧倒されましたが、だんだん気の重いことが起きてきたんです。

 我々登山隊は、パキスタン政府から、移動中に出会う住民の診察を拒否してはならないと言い渡されていたので、病人を診ながらキャラバンを続けたわけです。進むに連れて病人は増え続けていくのですが、手持ちの薬などたかが知れている。処方箋(せん)なんか出したって、現地ではその薬が手に入らないわけです。それで子供だましのようにビタミン剤を与えたりしながら、我々の登山活動への協力を得るしかありませんでした。

 はっきり言えば診察のまねごとです。現地の人々は歓迎してくれるのですが、医師としての役割を果たせない。これが自分の心の傷となったし、釈然としない気持ち悪さが深く残りました。でも日本に帰国してからも、なぜかまた行きたくなるんですね。家内を連れて観光で訪れたりした3年後、日本キリスト教海外医療協力会から、派遣医師としてペシャワールに行かないかという話があって、喜んで引き受けたのです。家内は「知らない土地じゃないから」と付いて来てくれました。

 私には特別に使命感などという大げさな思いはありません。ただ、例えば人が倒れていたら「どうしたの?」と関わるような気持ちでしょうね。自分に何も出来なければ別ですが、少しでも出来ることがあるのにやらなかったら、あとで気持ちが悪い。そうやっているうちに長い年月が過ぎたというだけです。

 もちろん文化や生活の違いからくる摩擦はありますよ。日本で「いい天気ですね」といえば晴天ですが、アフガニスタンでは逆に雨が降っている時がいい天気なんです(笑)。慣れるのに時間はかかりますが、それは彼らの習慣や考えになじんでいけばいいことで、根本的な人としての「殺してはいけない」「盗んではいけない」といった価値観はそう変わらない。ごく普通に暮らしを営んでいるのですから。(談)

なかむら・てつ ●医療NGOペシャワール会現地代表/医師。1946年福岡県生まれ、九州大学医学部卒業。国内の診療所勤務を経て、84年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。ハンセン病を中心としたアフガン難民の診察に携わる。91年以来、アフガニスタン北東部の3診療所を中心に山岳無医村での治療を開始。98年、恒久的な基地病院PMS(70床)を建設、2002年までに五つの臨時診療所を設置。またアフガニスタン国内の井戸と水路の掘削と復旧で千本の井戸を掘り、10年には全長25.5キロの用水路を完成させた。主な著書に『ペシャワールにて』『医者、用水路を拓く』(共に石風社)、『アフガニスタンの診療所から』(筑摩書房)などがある。ペシャワール会 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/