中田 山本さんはアーチェリーの名選手ですが、決してエリート街道を進んできたわけではないと聞きました。最初に、アーチェリーの弓を握ったとき、そして初の記録会での話をお願いします。 山本 オリンピック選手は、始めたときから能力を発揮してトップ街道を歩む選手と、苦労を重ねてある日突然レベルが上がる、二つパターンがあります。 私の場合は、アーチェリーに初めて触れたのが中学1年生のとき。最初の記録会の成績が約20人の部員中でビリでした。これは私にとって後々幸運につながる結果でした。もし17番とか16番だったら、逆にアーチェリーを今日まで続けられなかったと思います。 小学生のときは野球をやっていたんです。野球は勝ったらみんなで喜び、負けたらみんなで悔しがる。しかし、アーチェリーは個人競技なので、負けた悔しさを分かち合うこともできない。順位がはっきり出る場で僕はビリになった、非常に悔しい思いをしたスタートでした。 中田 「やめてしまおうかな」とは思わなかったのでしょうか。 山本 思いました。学校から家までの40分の帰り道で、真っ先に思い浮かんだのは、アーチェリーをやめて野球をすることでした。ところが、家までの道のりが長過ぎて、家につくまでに今やめたらビリから逃げた自分と一生つき合うことになると気づいてしまった。自分の人生のなかで「ビリ」という順位を変えてからやめようと思って、翌日アーチェリー場に行きました。 中田 ビリから上がるのは、なかなか難しいと思いますが。 山本 ビリからトップを見たら、長い道のりに見えて一歩が出しづらいですよ。その時の僕の目標は19番目ですからね。 中田 一つ上げていこうと。 山本 そう。「目標はあいつ」ってわかるわけ。そういう身近に感じられる目標を持って動いたほうが動きやすいと思います。とにかくその人を目標に頑張って、抜いた瞬間、何ともいえない満足感があったんです。その満足感がやみつきになると、もう一人、もう一人と続いていく。最終的には、自分がうまくなることに喜びを覚えて、そのうち自分の能力が変わることに喜びを感じるようになってくる。こうして終わりのない闘いに入っていくんです。
中田 その結果がオリンピックへとつながっていくわけですね。今までの山本さんの記録を見ますと、1984年のロサンゼルスオリンピックで銅メダル、そして、88年のソウルでは8位、92年のバルセロナでは17位、96年のアトランタが19位、そして、2000年のシドニーは国内の予選落ち。04年のアテネオリンピックで銀メダル。これは20年かけて銅メダルから銀メダルにたどり着いたことになりますね。 山本 アテネでメダルを取った後、僕への最初のインタビューが「20年のブランクを空けて再びメダリストになった選手がいない。世界最大ブランクについてどう思うか」だったんですよ。僕としては、うれしいことを言ってくれたなと。それこそが僕のセールスポイントですからね。要するに「あきらめが悪い」というところが。だから、「世界一あきらめの悪い男だ」と答えたんです。 中田 それだけこだわりを持ってメダルを目指して頑張ってきたわけですね。 山本 そう。ロサンゼルスでメダルを取った後、アテネまでの20年は最悪でしたね。でもやめなかったのは、初めての記録会でビリになり、でも翌日学校に行った1日と、ロサンゼルスからアテネまでの20年は、僕にとっては同じだからです。 僕の本質的なところには、ものすごいあきらめの悪さがある。自分のレベルは、客観的に見なければいけないけれど、その上で、どこかにまだ可能性があるなら、その数パーセントにかけて往生際悪くやっていくんです。 中田 1日と20年が同じということですが、20年間で周囲からのプレッシャーはどうでしたか? 山本 最初にロサンゼルスでメダルを取った後は、ものすごく人生が変わりました。今ほどじゃないにしても、周りの人たちはよくしてくれて。急に友達が増えたり、親類が増えたりね。メダリストにありがちなことが起こりました。 メダルを取るまで大体10年間かかったわけですが、オリンピックに出場する選手で、一番多いキャリアが10〜15年なんです。逆をいえば、20年頑張ってもオリンピックに出ていない人は、今後出場できる確率は低い。メダルを取る人も初出場で取る確率が高く、僕もそれで銅を取っている。その後の成績はずっと下がる一方でしたから、途中のバルセロナとかアトランタの頃は、「もうやめたら」「いい加減にしたら」「若い連中に譲ったら」と言ってくる人がいました。 僕は教師としてはプロフェッショナルという意識があるんです。23年間教師をやり、その給料で生活費を出し、アーチェリーの試合のための遠征費を出してきた。自分の余暇時間でアーチェリーをやっているんです。僕がアーチェリーのプロフェッショナルと思っている人もいるようですが、僕にとってアーチェリーはあくまでも趣味の際立ったものなんです。 だから、「周りの人からとやかく言われる筋合いはない」というのが自分のなかにあります。自分が趣味として好きでやっているのに「やめろ」なんて、僕に言わせたら「人の人生を勝手に語るな」ということ。僕の人生だから好きなようにやるということです。そんな感じであっという間の20年でしたね。
中田 その前向きな考え方や忍耐力は、山本さんの性分ですか。 山本 小さい頃からそういうものの考え方をしていたかもしれません。長期的な展望ができずに、とにかくその日、その日をいかに充実して終えるかに貪欲(どんよく)で、友達と遊んでいても、昨日の遊び方に何か工夫をしないと満足できないところがありました。だから、それがアーチェリーにもつながっているし、教育活動でも毎日工夫を加えています。 「何十年もアーチェリーをやっていて、よく飽きないね」といわれるんですが、同じことを20年繰り返していたら誰でも飽きます。同じことをやっていないから飽きないんです。 中田 遊び心を持っているんですね。 山本 不謹慎と思われるかもしれませんが、今、皆さんに話をしていますよね。皆さんの方を向いて、話すことを考えながらも、一方で思考が寸断しているんですよ。何をしゃべろうかを考え続けているわけじゃなくて、パッと一つの文章が頭の中に浮かんで、ちょっと空白ができるじゃないですか。その空白のときに、「後ろにいる人たちは何なんだろう」「立っている人は入れなかったのかな」とか……。 中田 そのとおりだと思いますよ(笑い)。 山本 そんなことをパッと考えて、結論が出るものもあれば、出ないものもあって、それでまた皆さんとの話のなかにポッと戻ってくる。 中田 いろいろなところに注意を払っているわけですね。 山本 アーチェリーという競技をやっているからかもしれません。アーチェリーは部分的にものを見ていたら絶対ダメなんです。会場の風の動きや、遠くにある雲の動き。次に戦う選手の表情などを見ていますね。一点に集中すると、メンタル競技は押しつぶれてしまうこともあるので、逆に分散させてしまうわけです。
中田 この夏開催された北京オリンピックで、山本さんはコメンテーターをされていました。一流アスリートである山本さんから見て、この選手のここがすごいとか、この指導者のここがすごかったということはありましたか。 山本 僕が浜口京子選手と親しいことは放送もされていますが、実際、家族ぐるみでお付き合いさせてもらっています。そんななかで、彼女がオリンピックに向けてどんな日々を過ごしているのか知ったときは、「おれはもっとやらなきゃ」と刺激をもらうほどでした。72キロクラスは、外国選手の層が厚いクラスです。レスリングの日程の最後にやってくる試合でもあり、他の日本選手がメダルを取っているなかでのプレッシャーというのは、ものすごいんです。そういうなかで彼女の取った銅メダルは、金に値するドラマと中身があったと思いました。 中田 山本さんはコーチなしで競技を続けている理由はなんですか? 山本 中学時代は毎日練習して、中学3年生で全日本選手権に史上最年少で出場しました。全日本選手権に出ると「教えてあげよう」という人が現れるんです。その人の言っていることはすばらしいけれど、他の人が違ういいことを言っていることもある。ならば、いろいろな人のいいところをもらおうということで、僕は専任のコーチは持たずに、いろいろな人からずっと意見をもらってきました。 中田 独学ですね。 山本 そうです。だから最終的な判断をするのは僕。いい結果が出ても、悪い結果が出ても僕の責任なんです。 僕はアーチェリーの指導者として若い人に接することもあるんです。あるとき、「アドバイスしてください」と言われ、その人に僕なりの意見を伝えました。数カ月後に再会したんですが、その人は「山本先生の言うとおりにやったのに成績が上がらなかった」って言ったんです。その言葉を聞いたときに「いや、ちょっと違うよ」と。成績が上がる、上がらないは、やっぱり本人なんです。でも教わることに慣れた人は、指導力が悪かったことにするんですね。 中田 人のせいにしてしまうんですね。 山本 ええ。そういう考えは僕にはなかったので驚きました。僕の場合、最後は自分のなかで「絶対これだ」という確信を持って練習に励んできた部分がありましたからね。
できれば失敗はしない方がいいが 乗り越えられれば強くなる
中田 現在、山本さんは短大の准教授で、高校教師の経歴もお持ちです。ここからは教育者としての山本さんに焦点をあてたいと思います。これまで多くの学生を教えてこられたと思いますが、いかに優秀な学生でも失敗があると思います。そのとき、山本さんはどんな助言をするのですか。 山本 来年は社会人になる学生たちですから、今は、授業での失敗よりも、僕自身の人生のなかで失敗したことをいろいろ伝えています。 中田 自分の失敗談を話しているんですか? 山本 そうです。また、失敗したことを悩んでいる学生には、その学生が置かれている現状を広い視野で見るようにしています。病院で先生が問診しますよね。症状に合わせた治療をしても、生活習慣が原因ならそれを変えないと再発してしまう。失敗についても同じなんです。 中田 私は幼い頃から、周りから失敗をしない子どもだと見られていたんですね。ですから、「失敗しちゃいけないんだ」とガチガチに固まっていた時期がありました。失敗をしてはいけないというプレッシャーや、そういう概念にとらわれていたんです。 山本 その人にとって「失敗」は決していいことではありません。だけど、失敗して乗り越えられれば強くなるんです。学生たちと接するなかで、失敗する前に支え過ぎちゃうのはよくないと思っています。支えると実際には強くならない。ずっと付きっきりで支えるならいいですが、学生はいずれ社会に巣立っていくわけです。ならばなおさら、僕の目の前でいっぱい失敗してほしいと。目の前で失敗してくれたら、その場でアドバイスできますよね。 だから、失敗しそうだなと思ったら、とりあえず転ばせてみる。それで、転んだときにどういう転び方をするのか、その転び方を見て、「ああ、おまえ、こういう転び方をしたら、次に起き上がるのに時間がかかるよ」と、「転んでもこういうふうに受け身をとって転べば、次の一歩がすぐ出せるよ」というような感じで、転び方、失敗の仕方を見届けるような感じでいます。 中田 逆に転ばない学生を社会に出すと、ちょっと心配というところですか。 山本 そうですね。それから、失敗させる場合、どこで助けやアドバイスを出すかが重要です。真剣に学生と向き合っていないと、手助けするタイミングがわからないです。 中田 プレッシャーに強い人も弱い人もいますから、タイミングが違うわけですね。 山本 このタイミングは感性の問題で、真剣に取り組んでいれば、キャリアに関係なく分かると思います。
中田 学生のやる気を引き出すのもポイントだと思いますが、山本さんはやる気にどうやって火をつけているんですか。 山本 「やる気」は興味のないものには出ないんです。とりあえず興味のあるものと出合えるような機会をたくさん紹介します。教師をめざしたけれど残念ながらその道が断たれてしまった学生がいた場合、「子どもたちに教える」ことが好きなのか、「人に何かを伝える」のが好きなのか。興味を掘り下げていきます。伝えることが好きなら教師に限定しなくてもほかがあるじゃないですか。 中田 私の仕事も「伝える」仕事ですね。 山本 そういうふうに自分がやりたいことを「教師」といった枠組みの中で考えるのではなくて、その学生は何に興味があるのかを一緒に話し合っていくんです。 例えば、うちの大学では、スポーツメーカーが一番人気です。しかし、メーカーに入社しても経理に配属されることもある。それならば、スポーツの何をやりたいのかを調べて、「スポーツ選手と一緒に過ごしたい」とか、「サポートをやりたい」ならスポーツメーカーに入るよりもジムに勤めたほうが、その確率が高くなるかもしれない。 自分の興味が何であるのかを掘り下げると、自分が思っていたのとは全然違うところに興味があるかもしれないのです。
中田 例えば、天職だと思った仕事が自分の期待と違ってがっかりしたということもあると思います。もともと天職というものに最初から就ければ問題がないんでしょうけれど、そうじゃない場合も多いと思います。山本さんが考える「天職」とはどんなものですか。 山本 僕は学生たちと話をするのが好きなんです。きっかけは、アーチェリーのためのアルバイトだと思います。アーチェリーを始めたとき、家族に大反対されたんですよ。野球か競輪の選手になれといわれました。非常に打算的で、親父は「アーチェリーの応援はしない」と、一銭も援助してくれませんでした。でも、アーチェリーはお金がかかるので、アルバイトをしていたんです。 横浜駅のアーチェリー施設でアーチェリーを教えるインストラクター兼清掃員をやっていました。 そのアルバイトは、6年間続けました。毎日何十人もの人にアーチェリーを教えたんです。そこで僕自身が目覚めたんですね。人に何かを伝えていく面白さに。上手にできた時に、その人たちが笑顔になってくれる。「あっ、すっごく幸せな仕事なんだ」と気づいたんです。 実は、アーチェリーをやっていたときに、ものすごく就職に苦労したんです。大学3年のときにロサンゼルスでメダルをとり、周囲は「山本は、もう絶対就職に困らない」といわれたんですよ。でも、とんでもない。メダリストでも、当時は、仕事なんかなかったんです。 中田 どうしてですか? 山本 結局、自分が競技生活をやりたいという部分を譲歩しないから仕事に就けなかったんです。アーチェリーをやめて普通に会社に勤めるなら「うちにおいで」と言ってくれた企業はありました。学校でも「選手をやめるんなら、うちで先生をやらないか」と言ってくれました。でも、選手を続けるとなると見つからない。それでも粘って粘って、前任の高校を見つけるまで、卒業してから3年かかったんです。 教師をやって「幸せだな」と思ったのは、1段の跳び箱も跳べないとか、前回りもできない生徒、に自分が言葉を駆使して伝えたことで、グルッと回れるようになったり、ピョンと飛べるようになったときの生徒の顔なんです。何とも言えないんですよ。それを見ると教師冥利(みょうり)に尽きるんですね。 中田 それが自分へのご褒美になりますね。 山本 教師やってきてよかったなって。3年前に高校をやめて、今は大学で教員をしていますが、その理由は教師を目指す学生に「高校の教員ってこんなにいいよ」というのを伝えてたかったから。それを伝えることで、学生たちは頑張って採用試験に合格しようと意欲を燃やしてくれると思って大学に移ったんです。
中田 本当に一生懸命に、がむしゃらにものごとに取り組んでいる印象を受けます。指導者としてもアスリートとしてもトップ街道を歩いていらっしゃいますが、トップレベルと中間レベルではどんな違いがあるのでしょうか。仕事でも応用できる話も交えて教えていただければと思います。 山本 試合が近づくと、選手が集まる機会があるんです。すると、意気投合するわけです。そしてお酒を飲むこともあるんですが、トップレベルの選手は、ある一定の時間を過ぎたら、いつの間にか消えていなくなっているんです。最後まで残っている人たちというのは、中間レベルの選手ですね。 中田 やはり自分に厳しい部分があるんですね。 山本 では、中間レベルの人たちは、なぜ競技を続けているか。それは定期的にいいことがあるからです。いい成績がめぐってくるときがあるんです。そして、その成績の余韻にいつまでも浸ってしまう。「ああ、おれよくやったな」って。それで自分を褒めている時間が長い。 中田 先を見ないんですね。 山本 トップレベルの場合は、いい成績でも「ああ、よかった」で終わり。もう翌日は次にもっといい成績を夢見て、練習を工夫し始めているんです。選手でも、教員でも、やはり昔の話をする人ほど中間レベルに入っているんですよね。「おれ、あの頃、実はこうでさあ」ってね。やはり今に集中する意識が低いんです。 中田 振り返らずに前を見ていったほうがいいということですか。 山本 自分が歩んできた道はあくまでも参考で、これからの自分にどんな可能性があるのかに意識が向いているのがトップレベルの人ですね。それからトップに来る人は、失敗を覚えています。失敗と向き合う勇気があるんです。中間レベルの人は自分の失敗を早く忘れようとして、本当に忘れちゃうんです。 中田 確かに、私もあまり思い出したくない失敗とかあります。 山本 その失敗を忘れてしまうと、同じことをやっちゃうんです。あのとき、あの子にああ言って振られたのに、次の彼女にも同じことを言って振られちゃうとかね。 中田 失敗から学習しないといけないですね。 山本 だから僕は失敗の札をめくったら、その札を必ずめくったままにしておきます。伏せるとまた自分がめくるかもしれないから。 中田 仕事でも同じようなことが言えますか。 山本 同じ失敗をしないようにすることや、これからの可能性を意識することなどは当てはまると思います。また、今は企業も同じことをみんなで繰り返しているじゃないですか。しかも、最近の企業は非常に損得主義になっている。善悪が後にきてしまっているなというのが僕の総体的な見方です。若者たちには、損得を第一に考える会社じゃなくて、善悪を第一に考えるような会社を選んでほしいですね。
中田 企業を見極めることも含めて、これからどんな努力をすればいいですか。 山本 周囲をよく見ることだと思います。僕はオリンピックに出るまでは変人扱いされていましたが、オリンピックに行き、他のアスリートと比較してみると、みんな同じように練習しているし、自分が変人ではないことを知ったんです。環境によって人の意識は変わるというわけです。 それから、誰でもサボりたいという気持ちはあります。中田さんもありますよね? 中田 はい、ありますね(笑い)。 山本 ねえ。僕だってサボりたいという気持ちはあります。でも、サボったら自分が後悔するという過去の経験があるのでサボらない。サボろうよという誘いがあっても、「いや、僕はいいです」と断ることができる。するとサボろうと誘いに来た人は二度と来ません。 中田 そう言われるとそうですね。 山本 自分の「サボりたい」という欲求に対して、一緒になってくれないから誘わないんです。誘って話に乗る人はグループを作っていく。だから、僕はサボらない人たちと話をするのがすごく好きです。その代わり、疲れちゃいますけどね。会話もサボらないからね。 中田 自分がこのグループは違うなと思ったら、「ノー」と言える、断れる勇気を持つことはやっぱり大事ですね。 山本 自分の人生を納得のいくものにしたいという気持ちなんだと思います。仕事でも何でもそうですけど、天職を探すというのも、自分で納得のいく人生を歩みたいからでしょう。ならば、見つけるのに時間がかかっても、納得できる仕事を見つけたほうがいいと思います。
中田 きょうの講演タイトル「継続は力なり」について、お話を聞きたいと思います。山本さんは20年かけて銅メダルから銀メダルにたどり着いたということですが、アーチェリー選手としての自己管理はどうしていますか。 山本 自己管理には自分を客観的に眺める目が必要だと思います。アーチェリー競技は、トップレベルになるほど自己内対話をする選手が多いんです。自分と会話をして、自分をいい方向に持って行くわけです。 僕の場合、自己内対話の最後の言葉は、自分の気持ちを前向きにするポジティブなものです。僕の自己内対話は必ずハッピーエンドなんです。 自分の内面で起きていることまでマイナス思考で考える必要はありません。実社会では、ハッピーエンドで終わらないことばかりですが、自分のなかでは常にハッピーエンドにしていく。ただし、その自己内対話が単なる妄想にならないようにするため、僕の場合は、毎日の練習内容をメモしています。さらにメモだけじゃもったいないので、そのページには、仕事でこういうことがあったとか、全部書いてます。結婚してからは「きょうは家内とケンカした」とかね。 中田 そういうことも書くんですか(笑い)。そのような自己管理を20年以上も続けるというのは大変ですよね。 山本 僕ね、続けるのが好きなんですよ。皆さん学校で「チャイムが鳴ったら席についておけ」って言われましたよね。でも、チャイムが鳴ったときに教室にいない先生って多いんです。僕はチャイムが鳴る前にグラウンドや体育館にいることをずっと続けてきました。 学校の先生には僕よりも優れた先生がいっぱいいます。それを知っているから、自分の物差しで自分を考えたときに、これならできそうだというのが、チャイムが鳴ったときは必ず会場にいて、子どもたちを受け入れる側になろうということでした。
中田 この会場を訪れている皆さんに山本さんから熱いメッセージをお願いしたいと思います。 山本 自分のことを最後に言って申しわけないんですが、40歳を過ぎてからの質問で一番多いのが「いつ引退するか」です。この質問を受けて感じることは、多くの人たちは、人は何歳になったらこうなるもんだとか、そういう概念に包まれて人生が操作されているんだなということです。 「いつ引退するか」という質問は、いつ死にますかというのと同じで、僕にとっては未確定な日程を質問されているのと同じです。死にたくなくてもいつか死ぬだろうし。アーチェリーを続けたくても、明日になったら右肩が上がらなくなっていて続けられないかもしれない。 そういうものの考え方で僕はアーチェリーにも取り組んでいるし、教員という仕事もしています。明日どうなるか分からないけれど、とにかく今、ベストを尽くしたい。こうした場でも「後でこんなことを言っておけばよかったな」と後悔しないように話すから、いつも時間がオーバーしちゃうんですけれども、とりあえず、とにかく自分の頭の中に浮かんだことを率直にお伝えしています。 そして皆さんに、この場に足を運んでよかったなと感じてもらえればうれしいです。僕は少なくともここに来たことはすごくよかったと思っていますし、本当にいい機会を得られたと思っています。 自分の人生を面白くできるかどうかは、面白く見ようとするかどうかの問題なんです。いろいろな視点をもって、人生を歩んでみたらいかがでしょうかとお勧めして、私の独り独り善がりな話を終わりたいと思います。 中田 再びこういう機会があったら、時間をたっぷりとってお話を聞きたいと思いました。ありがとうございました。