山田 私はスポーツが大好きで、自分もトライアスロンをやっています。今日は鈴木大地さんにいろいろ伺いたいと思っています。早速ですが、1988年ソウルオリンピックで決勝レースを迎えた時はどんな気持ちでしたか? 鈴木 4年間努力を積み重ねてきましたから、「いよいよ来たな」という感じでした。その努力とは本当にコツコツ蓄積してきたものです。例えるなら、コップに4年間かけて水を1滴1滴ためてきたような感じですね。決勝レース出場が決まったから急いでコップに水を入れはじめた訳じゃないんです。レース直前はコップがいっぱいになるための最後の1滴をコップに注いで準備万端。そんな感じでした。 山田 それだけ積み重ねたものを、たった1回の試合で出し切らなければならないプレッシャーは感じませんでしたか? 鈴木 確かに感じましたが、そういうプレッシャーに負けないように練習を重ねてきましたから大丈夫でした。 山田 鈴木さんのバサロスタートを知らない世代もいるようです。バサロスタートでいかに金メダルを獲得したのかを教えてください。 鈴木 バサロスタートは水中で「ドルフィンキック」によって足の力だけで進む泳法です。手で水をかくと手を元に戻さなければいけませんが、ドルフィンキックだと足を前後に動かすだけで推進力が得られます。とても効率がいいんです。ただし、水中でやりますから、呼吸ができない。速いけど、バテる危険性も高いスタート方法でした。僕がこのスタートにこだわり続けたのは、自分が得意とする泳法であったこと、そして、この泳法ならば日本人が競泳短距離で外国人選手からリードを奪うことも可能だったからです。 山田 そのバサロスタートの距離を、決勝の試合直前に変えたと聞きました。 鈴木 はい。今は15メートル制限がありますが、当時は制限がありませんでした。予選で隣のアメリカの選手が35メートルもバサロスタートで進んだんです。僕は25メートル。その10メートルで差をつけられました。そこで決勝では5メートルほどバサロスタートの距離を伸ばしたんです。 山田 不安はなかったんですか? 鈴木 多少はありました。でも一か八かではないんです。順位に置き換えてみて、1位か8位だったらやらないですね。当時は間違っても3位に入れると思っていたので、一か三か(笑い)。ならば、狙うは金メダルだということで距離を変えました。結果的にその作戦変更で後半に逆転して優勝できたわけです。
山田 今年は北京オリンピックが開催され、鈴木さんもコメンテーターとして行かれていましたが、北京の日本水泳陣の印象はいかがでしたか。 鈴木 最も印象に残ったのは、やはり金メダルを2個取った北島康介選手ですね。日本の水泳関係者として海外のメディアなどからも「おめでとう」と祝福されました。個人競技の水泳ですが、日本人みんなで戦っているなという気持ちになりましたね。本当に誇らしい金メダルでした。 山田 金メダリストとして北島選手の2大会連続の金メダル獲得についてどう思いますか? 鈴木 本当にすごいことだと思います。私はたった1個しか金メダルを取っていませんが、金メダルへの道には大変なものがありました。こんなに頑張るのは一生に一度だけ、人生80年ならば4年なんて一瞬だと自分に言い聞かせてやってきました。それだけに、金メダルをとった後は、再挑戦するのに随分悩みました。今度、北島選手に会ったら、どうやってモチベーションを維持していたのかを聞いてみたいですね。 山田 サポートしている周囲の皆さんの力も大きいと思いますが、いかがですか。 鈴木 特にコーチの存在は大きいですね。北島選手の平井コーチはよく知っています。選手のモチベーションを上手に高め、時に厳しい言葉をかけるなどして、見事な手綱さばきで選手たちを先導しています。そして、常識を覆すトレーニングをしている点が見逃せません。水泳の短距離競技なのに高地トレーニングを行っているんです。そのチャレンジ精神が一味違うところですね。 山田 鈴木さんは鈴木陽二監督と二人三脚でしたが、いかがでしたか。 鈴木 私たちもチャレンジしていました。当時、水泳選手にウエートトレーニングは不要といわれていましたが、外国の選手を初めて見たとき、腕の太さが僕の太ももと同じくらい太くてショックを受けました。その後、ウエートトレーニングを週6回もやって体を作りました。金メダル獲得には、指導者の工夫や研究も欠かせないわけです。
山田 ソウルオリンピックの後、次のバルセロナオリンピックも目指したのですか? 鈴木 先ほども少しお話ししましたが、金メダルを取った翌日から目標を失ってしまって、途方に暮れていました。メダルをめざした4年間よりも、取った後の虚脱感のほうが辛かったですね。 山田 競技生活は続ける予定でしたか? 鈴木 ずっと迷っていました。迷ったまま教育実習で母校の高校に行ったんです。最後のホームルームで学生代表がバスタオルをプレゼントしてくれて、そのタオルに「バルセロナでもう一度」と、ししゅうしてあったんです。なぜか約束した気持ちになって、もう一度トライすることにしました。でも、なかなか本気でカムバックできず、アメリカに渡って練習環境を変えたりもしましたが、思い通りにはなりませんでしたね。結果からいうと、バルセロナオリンピックに出場することもできませんでした。ただ、再び挑戦したこの4年間は、いろいろな意味で自分の原点に返る機会になりました、記録は伸びなかった分、人間的に伸びたと思っています。 山田 引退後は何を? 鈴木 競技一筋だったので一般常識も知らない状態でした。そこで多くの本を読んだり、いろいろな人と話をしたり、とにかく吸収し続けました。飲み会だって勉強の場でした。 それからバルセロナオリンピックにはコメンテーターとして行く機会をもらったんです。ところが、自分のボキャブラリーが少ないことに自分でショックを受けたんです。「この言葉は、昨日も言ったな」ということばかり。自分が嫌になりました。スポーツキャスターの仕事の話もありましたが、あの時は公共の電波で話が出来るレベルじゃないと勉強に専念しました。
反復練習をする修行タイプの日本と 楽しむ工夫を忘れない海外のトレーニング
山田 日本と海外のスポーツの違いはなんでしょうか。 鈴木 スポーツの世界では「野球とベースボールの違い」といわれますが、水泳も「水泳とスイミングの違い」があります。日本の水泳の練習は、プールをひたすら往復しながら泳ぐ修行に近い内容です。いわゆる反復練習で、何回水をかくとターンが来るなど、目をつぶっていても泳げるようになるわけです。野球の1,000本ノックも同様ですね。体が覚えるまで練習を続けていくという方法が多い。 でも外国選手は結構飽きっぽいんです。だから、新しいトレーニング方法や、新しい練習用具を次々に開発しています。それから、選手とコーチは日本では主従関係ですが、アメリカでは、友人のようなフランクな関係です。選手は練習に納得いかないと、練習の目的をコーチに質問します。目的を理解しなければ練習しないことさえあります。 山田 アメリカは「ほめる」文化とよく聞きますが、トップ選手の練習はどうなんですか。 鈴木 ほめますね。それに、楽しませます。コーチは先生ではなくて、エンターテイナーです。また選手も楽しまないといけない。私がまじめにビート板を持って足のキックの練習をしていたんです。たまたまカメラマンが日本から取材に来ていて、それを見た外国人選手が、「大地、カメラに向かって笑え」って言うんです。「冗談じゃねえ」と(笑い)。日本でニヤニヤ練習していたら怒られちゃうよと。でも、アメリカでは笑わないといけないんですよ。カメラマンが来たら、必ずみんな歯を見せて「ハーイ」と笑いますよ。 山田 本当ですか(笑い)。 鈴木 アメリカではスポーツは楽しむためにあるんです。日本だと修行になる練習も、ちょっとした工夫で面白くしてしまう。でも、どちらもいい面を持っている。今は指導者として海外や日本のいいところ、さらに世界各国のいいところを少しずつ取り入れて、バランス良く融合させたいと思っています。
山田 現在は順天堂大学の准教授であり、水泳部の監督もされていますが。選手の育成やコーチングに関してもお話を伺いたいと思います。人を育てる方法はどうやって身につけたのでしょうか。 鈴木 大学院の私の専攻がコーチ学でした。しかし、自分では勉強してきたつもりでも、実践にはかないませんね。水泳部の監督になったばかりの頃は、いつ、どこで、何をどんなふうに指導すればいいのか分かりませんでした。そこで選手の様子を観察したり、いろいろな失敗を繰り返して、選手の心理状態を理解しながらアドバイスできるようになりました。 山田 一人ひとり違う選手たちの特性をどうやって見分けるのですか? 鈴木 会話をしていくと分かるものです。この選手はしかっちゃいけないとか、この選手はこうやってあおらないとダメとか、全体を盛り上げるには、こいつとバカ話をして、締めるときはこいつを怒るとか。そういう役割だんだんわかってくるんですね。 山田 例えば多くの選手のなかから、才能ある選手を見つける方法は? 鈴木 私はオリンピック選手を育てた経験はありませんが、日本チャンピオンを育てる機会に恵まれたことがあります。泳ぎの才能も必要ですが、人間的な才能といいますか、頑張る努力ができるかどうかが大切ですね。北島選手の平井コーチは「康介は努力の天才だ」と言っています。当然泳ぎの才能も抜群ですが、それだけじゃ勝てないのです。だからこそ、努力することが当たり前のようにできる人が強い選手になると思います。 山田 努力する才能のほかに必要な資質などはありますか? 鈴木 アドバイスを貰ったら、それを受け入れられる素直な気持ちがないと選手は伸びないと思います。人間は一人で完結しているわけではありません。そして誰もに不完全なところがある。それを自分で学んだり、受け入れたりしながら、成長していくわけです。自分のためにアドバイスをしてくれる人の話を素直に聞けない人は伸びないと思います。
山田 そういう資質は持って生まれたものなんでしょうか。 鈴木 いいえ、誰もが可能だと思います。まずは心を真っ白にして、素直な気持ちを意識すれば、自然とアンテナが張り巡らされるはずです。そうすると自分の方向性も見えてくる。アイススケートの清水選手は、体の細胞の一個一個と話をすると言っています。僕も何となくわかるんですよ。自分と対話することで、この自分の体の細胞が自分に協力してくれる気がします。皆さんにも60兆個の細胞があって、新陳代謝を繰り返しながら生きているんです。夢や理想を願い続ければ、細胞がきっと答えてくれると思いますよ。 山田 私は気象予報士の試験に落ちてばかりだったんですが、その時に読んだ本に「自分がやりたいことを毎日100回紙に書け」とあって、実践してみたんです。そしたら合格できました。自分の目標を常に意識することの大切さを体感しました。 鈴木 すごく大事なことですね。意識するという意味では、選手時代のイメージトレーニングにメンタルリハーサル「ビジュアライズ」というのがありました。目をつぶってオリンピックの結果をイメージするんです。僕がイメージしていたのは、世界の強豪とレースをして接戦の末に勝ってガッツポーズするシーンでした。金メダルを取った時に驚いたのは、まさにそのイメージ通りだったということです。皆さんも普段考えていることが将来の自分に起こるかもしれません。だからこそ、より積極的な思考を持つべきだと思います。
山田 今回の講演のタイトル「競技から学ぶ自己改革」について、今までのお話にも含まれていたと思いますが、鈴木さんが大切に思っていることは何でしょうか。 鈴木 やはり感謝する気持ちを持つことです。いろいろな人たちとの間で自分が生かされているということを知り、それに対して感謝の気持ちを持って、今の環境でベストを尽くすことが大事だと思います。また、人生を歩んでいくと、いろいろな難問に当たることがあるはずです。いわゆる「壁」と呼ばれるものですが、僕の経験では自分が乗り越えられない高さの壁に直面することはないんです。必ずその人の器にあった、乗り越えられる高さの壁なんです。だから、目の前に壁が表れたら、諦めることなく、乗り越えることを前提に取り組んでほしいですね。押してもダメなら引いてみる。いろいろアプローチを変えて壁を乗り越えた時に、成長している自分がいるはずです。 山田 選手から解説者、そしえ教育者へとステージチェンジした訳ですが、新しいステージに立つときに自分のモチベーションをどのように高めているのですか? 鈴木 僕は基本的に好奇心旺盛なので、多少の不安よりも好奇心の方が勝るんです。もし目の前に新しいステージがあったら、僕なら迷わずそのステージへの一歩を踏み出しますね。それによってどんな世界が広がるんだろうと考えるだけでワクワクします。皆さんも一歩踏み出して、新しいステージに立ったときの、ハラハラ・ドキドキ・ワクワクを楽しんでください。