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2月26日、東京国際フォーラムで開かれた就職イベント「職選広場〜転職者・新卒者のための合同企業説明会」。オープニングセミナーには、会社員を経て漫画家になった弘兼憲史さんが登場し、自身の転職経験や作家活動をもとに、社会人の思考法やコミュニケーション術について語りました。
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手描きの看板で個性をアピール
第一希望の本社宣伝部に配属 |
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| 杉崎 漫画家になる前、弘兼さんは、松下電器に勤めていたそうですね。どんな思いで就職活動をしたんですか。
弘兼 もともと子どものころから絵や漫画を描くのが得意で、将来は漫画家になりたいと思っていました。ところが中学生くらいになって、漫画家はなりたいからといってなれるものではなく、医者や弁護士のように資格をとったからなれる職業でもない、ある意味、才能勝負の仕事だということがわかってきました。僕には無理かもしれないと思い、一般の会社に勤めることにしました。
早稲田大学時代、漫画研究会にいたんですが、なんとかして自分の漫画の技術を一般の会社で生かしたいと思い、それなら宣伝関係の仕事がいいだろうと考えました。志望先を、宣伝に力を入れている松下電器、サントリー、資生堂という「宣伝の御三家」に絞ったんです。
資生堂に願書を持っていくと、「昨日で受け付けは締め切りました」と言われました。実は、亡くなった父親も、同志社を出て、資生堂を受けて落ちています。親子2代で、資生堂には縁がありませんでしたね(笑い)。
サントリーの宣伝部の説明会には、百何十人も来ていて、しかもそのうちの1人しか採用されないと聞き、やめようと思いました。
僕が松下電器に入社したのは、昭和45年(1970)。日本経済が右肩上がりで、新入社員の採用人数は約800人。給料も初任給が41,000円、2年目は80,000円、3年目は112,500円とどんどん上がっていく、今思えばすごい時代でしたね。
新入社員800人のうち、半分が理科系、半分が文科系です。文科系400人のなかで、僕が行きたい本社宣伝部は、1〜2人しか採用しない部署。無理かと思いましたが、とりあえず希望を出したら、通ったんです。いろいろなアピールをしたからでしょう。4月に入社し、11月に配属が決まるんですが、「本社宣伝部、弘兼」と言われたときは、ガッツポーズでしたね。
杉崎 どんなアピールをしたんですか。
弘兼 4月に入社すると、1カ月間の本社研修の後、3カ月間の販売店研修と工場研修があります。販売店研修では、文系・理系にかかわらず、家電の修理をしたり、屋根にテレビのアンテナを設置したり、電気屋さんの店員をするんです。僕の研修先の店には、ときどき大阪営業所の人たちが見学に来ていたんですが、その人たちになんとか自分をアピールするために、店頭のプライスカードを、松下電器のものではなく、漫画入りの自分の手描きにしました。ほかにも、販売店で金魚すくい大会などのイベントを企画したり、そのときの看板も自分で描いたりしました。そういうことが、大阪営業所の人たちの目にとまったんでしょうね。
社員寮のビールパーティーを宣伝するときもそうです。僕が住んでいた「昭和寮」の前には、本社に通勤する人たちが乗る京阪電車が通っていたんですが、その人たちに自分の作品をアピールしようと、漫画で、マリリン・モンローの巨大な看板をつくって「昭和寮 ビールパーティー」と書いたんですよ。地下鉄の通気口の上でスカートがめくりあがる、映画『七年目の浮気』の有名なシーンです。電車に乗る社員の人たちの間で、「何だあれは! 誰がやったんだ!」という話になり、「どうやら新入社員の弘兼らしい」と話が伝わっていきました。
そうやって、研修期間中にいろいろなアピールをしたので、本社宣伝部の1人か2人の枠になんとか入れたんですよ。 |
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覚悟を決めて人と付き合う
良い面からも悪い面からも学ぶことは多い |
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| 杉崎 入社してみて、ギャップを感じたことはありましたか。
弘兼 カルチャーショックはありましたね。僕らはいわゆる全共闘世代。今考えたらとんでもない学生時代で、教授を呼び捨てにしたり、授業中に討論会をやったり、態度はぞんざいで、礼儀も知りませんでした。
入社後すぐに驚いたのは、上司に、繁華街に連れていってもらったときのこと。スナックのママに、「あら若い人ね、どうぞおしぼり」と言われて、「どうもありがとうございます」と受け取って手を拭いたんです。すると明くる日に早速、上司に呼ばれ、「となりに部長が座っているんだから、部長から先にどうぞ、と言うのが普通だろ!」と注意されました。
上司とタクシーに乗ったときも、どこが上座かわからない。部長に苦しい思いをさせないように、自分が奥に乗り込んで、手前に部長を乗せたんです。前に乗っていた課長があきれて、席順を図に描いて説明してくれました。新入社員時代は、そういうことから始まりましたね。
杉崎 これから社会人になる人には、そういう常識が必要になりますね。
弘兼 コピーを持って廊下を歩いていたら、「タラタラと歩くな、もっとシャキシャキ歩け」と言われたこともありましたね(笑い)。
学生時代は、自分と気の合う仲間とつるんでいればよかったのですが、社会に出ると、自分の嫌いなタイプの人間とも仕事をしなければいけない。そこは覚悟を決めないといけませんよね。
杉崎 苦手なタイプの人と、どうやって付き合っていけばいいのでしょうか。
弘兼 僕のいた部署の部長は、京都大学の全共闘出身で、仕事はできるんですが、周りから敬遠されていました。僕はなぜなのかと思い、部長が一人でいるときに、「ちょっと話を聞かせてもらえませんか」と、近づいてみました。部長は「何だおまえは」という感じで、ぎょっとしましたよね。でも、そんなことを言ってくる人はいないので、その後はずいぶん可愛がられるようになりました。
接してみたら、確かにみんなが言うように気難しいところがたくさんある。でも、いい面もある。部長になる人ですから、ものすごく鋭い。書類をチェックしてもらうときでも、ごまかせないんです。こちらが不安だなと思うところに、必ず目がとまって、「これは、どういうことだ?」と。
そぐわない面もありましたが、反面教師というかたちで、その部長にはずいぶん学ばせてもらいました。
杉崎 どんな人でも、付き合ってみなければわからないところはありますよね。
弘兼 今、僕が、若い人から何か質問をされると、一生懸命答えます。ただ、僕から若い人に進んで教えにいく気はありませんから、若い人は、上司に対してどんどん質問した方が自分の得になると思います。たとえ周りから嫌われているタイプでも、上司になるからには何かいいところがあるわけですから、そこはキャッチするのが大事だと思います。
杉崎 キャッチできるかどうかは、自分次第かもしれませんね。 |
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失敗を恐れては何もできない
今より天職に近い漫画家をめざし、退社 |
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| 杉崎 大企業から漫画家に転職するには、大変な決心があったのではないでしょうか。
弘兼 当時は、終身雇用の安心感のもとに、自分の人生が見えてしまうように思いました。本社であれば、平社員の自分の席があって、主任がいて、課長がいて、部長がいて。つまり自分の席からあの部長の席まで約20メートル。30数年かかって、あそこまでいくんだと考えたら、敷かれたレールの上を歩く人生のようで、むなしい。自分の性格としてはそうではなく、レールから外れた方向に歩いてみようと考えたんですよ。あと、自分のしたいことは何なのか、と。
実は宣伝の仕事も、とてもおもしろかったんです。篠山紀信さんや立木義浩さん、加納典明さんといった有名な写真家と一緒に海外ロケにいってカレンダーをつくる仕事をしたり。
でも、そのときも自分の天職は何なのかを考えていました。誰にも天職はありますが、自分の天職が何かは、誰にとっても永遠の謎。僕の天職は自分でもわかりませんが、漫画家は、サラリーマンよりは限りなく天職に近いということはわかりました。今の仕事は楽しいけれども、人生は長いので、自分のいちばんやりたい仕事に向かっていこうという気持ちで、会社を辞めたんですね。
杉崎 迷いませんでしたか。
弘兼 自分の人生プランを立てない性格なんですよ(笑い)。ただ、やりたい仕事をやるという気持ちでしたから、会社を辞めるのに躊躇(ちゅうちょ)はありませんでしたね。漫画家は不安定な仕事ですから、漫画家で人生プランを立てて生きている人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか(笑い)。
杉崎 転職を考えている人のなかには、「次にいったら失敗するかもしれないし、今のままがいいかな」という瀬戸際の人も多いと思います。
弘兼 僕もリスクヘッジは考えて、漫画家になれなかったときのために逃げ道はつくっていました。
3年間しか松下電器にいませんでしたが、その間に、宣伝部ですから、デザイン会社の人やフリーのイラストレーターらと付き合っていました。発注したり、請求書をもらったり、お金を支払ったりしていたので、自分でデザイン会社を始めるノウハウは身につけることができました。だから、辞めるときも、もし30歳までに自分の漫画が一度も印刷されなかったら、自分は漫画家に向いていないと気持ちを切り替えて、デザイン会社をやろうと思ったんです。ただ、幸い、25歳で会社をやめて26歳で賞をもらったので、順調にいったのですが。
今考えたら無謀なことをしていましたよね。会社を辞めた一番のきっかけは、漫画雑誌をみていて「これなら自分でも描ける、負けない」と思ったことだったんです。それで最初に描いたものが入選したんですが、今見ると下手で幼稚なんですよ。よくこんなことを考えたなと思うんですが(笑い)、僕はプラス思考ですから、あのころはうまくいくと信じていました。
杉崎 自信を持つことも大切なのかもしれませんね。
弘兼 そうですね。ゴルフにしても、打つ前から失敗することを考えると、失敗しますし。
杉崎 成功のイメージですね。
弘兼 プラス志向でいかないと。なかなかいろいろなことには踏み切れません。失敗を恐れていたら、何もできない。特に20代は、失敗が一つの勲章ですからね。 |
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自分の勤務経験プラス徹底した取材で
リアルなサラリーマン漫画を描く |
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| 杉崎 弘兼さんの作品といえば、『島耕作』シリーズですが、描き始めたきっかけは何だったんですか。
弘兼 当時、漫画家のなかで、大企業から転身した人はごく少なく、サラリーマン漫画もあまりありませんでした。企業の現場を知っている僕は、ほかの漫画家が持っていない情報を持っているわけです。これは、今までにないリアルなサラリーマン漫画が描けると思い、描き始めたんです。
ただ、もともと、こういう漫画を描こうと編集者と相談して決めたのではありません。「何でもいいから読み切りを一本書いてくれ」と注文を受けたんです。僕はサラリーマン経験を生かして、オフィスラブを描いてみようと、『カラーに口紅』というタイトルで読み切りを描きました。ところが印刷物になったときに、タイトルが、『係長 島耕作』となっている。「タイトル変えたんですか?」と編集者に聞いたら、「おもしろそうだから、シリーズ化したい。このタイトルでいってください」と。そのおかげで、ライフワークになったんですが。
杉崎 私の周りにも、『島耕作』を「昔から知っているんだ」とまるで同僚みたいに話す人がいます(笑い)。
弘兼 それはなぜかというと、『島耕作』は、現実の進行時間とまったく同じように話が進んでいるからです。『島耕作』が始まったのは、主人公の島耕作が34歳くらいのときで、やはり私もその年齢でした。係長から始まって課長、部長と出世していき、今、島耕作は60歳で、専務ですよね。進行時間が現実と一緒なので、読む人は、自分の人生と重ねて読めるわけです。
杉崎 この漫画から影響を受けているファンは多いですよね。
弘兼 最近の『島耕作』では、中国、インド、北米あたりのマーケットを描いていますが、描く前に、それぞれの国に取材で何度も足を運んで、現場の人の声も聞いて、データも取ってきています。だからある意味、『島耕作』は情報漫画なんですよ。エンターテインメント50%、情報50%。最近、ぬれ場が少ないという不満の声も聞きますが(笑い)、今はビジネス漫画になっていますね。
杉崎 勉強になりますよね。
弘兼 自分でいうのもおこがましいのですが、中国に進出するときに『島耕作』を参考にしたというビジネスマンはたくさんいらっしゃいます。
杉崎 これまで漫画を描くために、さまざまな取材を重ねてこられたと思いますが、特に印象に残っていることはありますか。
弘兼 僕は『加治隆介の議』という政治家の漫画も描いています。それまでの政治家の漫画は、だいたいダーティーな政治家を描いていることが多かったんですが、実際に取材をしていると、特に若い代議士の方には、ものすごくやる気があって、真剣に日本の将来のことを考えている方がたくさんいます。情報を出す側のわれわれとして、これは両面描かなければ不公平だろうと思い、正義の政治家の漫画を描いたんですね。
取材する前、永田町の壁は高いから取材は受けてくれないかもしれないと思っていたんですが、実際に行ってみると、大蔵省(当時)の人たちが、「ファンです。中学生のころに『ハロー張りネズミ』を読んでいました」などと言ってくれるわけですよ。そしていろいろな情報をいただける。防衛庁(当時)やAPEC、ニューヨークの国連本部に行ったときもそうでした。ときには「新聞記者の方には出せないものなんですが」と言って、情報をもらったこともありました。ただしそういう場合は、印刷する前に「これで出します」とチェックしてもらう条件で描いていましたが。とにかく、漫画家をやっていることが、取材ではずいぶん役に立ちましたね。
これは今日のテーマの「人と人」にかかわる話なんですが、政治家にインタビューするときのことです。よく、記者のなかには、ちょっとでも多くの話を聞きだそうと、相手が多忙にもかかわらず、45分の約束を50分に延ばす人がいるのですが、当然、相手はイライラしてきますよね。そんなことしていると、次から取材を受けてもらえないので、僕はぴったり45分で終わらせていました。約束を守ることで、次の取材が得られると思うんですよ。
杉崎 そういうことの積み重ねで、人間関係を築いていくんですね。 |
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10割バッターの気持ちで、いい仕事をする
「利益追求しない」松下電器の教えを貫く |
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| 杉崎 松下電器時代に得たことで、影響を受けたことはありますか。
弘兼 松下電器には、松下幸之助さんというカリスマがいて、「会社は利益を追求する集団であってはいけない」という、この方の語録があります。入社当時の私は「きれいごと言いやがって」と反発していました。全共闘世代で暴れていた人間にとって、始業前に「松下電器の遵奉する七つの精神」を唱和したり社歌を歌うことが、耐えられなかった。口パクしたり、あっち向いたり、生意気な態度をとっていましたよ。ところが、3年もたつと、完全にすりこまれますね。「利益を追求するためにモノをつくるな」、まったくその通りだと思うわけですよ。
利益は、自分が社会に奉仕したご褒美(ほうび)として、戻ってくる。これはつまり、理科系の人は良い製品を開発して世の中に送りだす、文科系の人は、その良い製品を安く売れるように努力する。良い製品だと認められれば、みんなが買ってくれるわけですから、その結果、報酬として利益が入ってくるということです。
そういう考え方にはずいぶん影響されて、漫画家になってからも、マーケティングリサーチからは入らないんです。こういう漫画を描いたら売れるだろうということは、今まで考えたことがありません。まず自分の描きたいものがある。売れるかどうかわからないけど、一生懸命、全力で描く。そうするとおもしろいものができて、人が買ってくれる。結果的に、自分の利益になる。そういうスタンスをとるようにしています。
重要なのは、読者をいかに感動させられるかです。メジャーリーグのイチロー選手だって6割は外しているわけですから、毎回毎回、いいものを描くのは難しい。けれど、いつも10割バッターの気持ちで、いい作品を描こうと思っています。
会社は利益追求集団であってはいけない、という考え方は重要で、どのサラリーマンもそういう心意気で仕事をするべきだと思っています。会社は大きな組織ですから、社会に対する影響力も大きい。だからこそ、会社は利益追求集団であってはいけないと僕は思います。どれだけ社会に貢献できるか、どれだけその地域に住んでいる人たちの利益になるかを考えるのが会社であり、ビジネスマンだと思います。 |
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相手を尊重し、妥協することも必要
空気を読み、気配りする人が出世する |
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杉崎 編集部とはどんなふうにかかわって仕事を進めていくのですか。
弘兼 漫画を描くということは一人でする作業ですが、編集者と一心同体で仕事をするのが常です。若く未熟な漫画家は、編集者から社会の仕組みや人との付き合い方、礼儀作法を教えてもらいます。
杉崎 編集者の方と自分の意見が合わないときはどうするのですか?
弘兼 駆け出しのころ、自分が描いた漫画に対して、編集者が、「このラストはいかん。こういうふうに変えてほしい」と言われることもありました。その指摘が当たっているときもありますが、まったく外れていると思うときもある。そんなとき「それは違うだろう」ということもできたんですが、僕は現実面を考えて、ここで突っ張ったら次の仕事がこないから、と妥協して編集者の言う通り描き直しましたね。今、読み返してみると、これはないだろうというラストになっていますが(笑い)。
自分の思いも大切なんですが、それだけでは社会で生きていけないんです。仕事が自分で動かせるようになるには、ある程度経験を積まないといけない。経験を積むまでは、編集者の言うことを尊重して、自分では間違っていると思うような結論を出すことも、場合によってはしなければいけない。若いころの僕は、けっこう大人の対応をしましたね。40歳くらいになると、逆にこちらが編集者を教育しないといけない立場になるんですが。
杉崎 企業に勤める場合でも、上司とうまがあわないと感じている人はいると思います。そんなとき、今の若い人はすぐに辞めてしまうという話も聞きます。
弘兼 上司とそりがあわなくて会社を辞めたら、永久に辞め続けないといけません。若いころから自分の思う通りにいく会社なんかありませんから、めちゃくちゃ怒鳴られても、それを受け止めないと。理不尽だと思っても、憤然とその座を蹴ったりしたら、一生そういう人生になる。自分では間違っていると思うことでも、小さなことだったら反発せずに、言うことを聞くという余裕をもって生きたらいいと思います。それが社会の仕組みだし、相手のメンツもありますから。上司も部下も、いちばん嫌われるタイプは「KY」(空気を読まない)です。
以前、ある雑誌で、銀座の老舗(しにせ)クラブのママさん2人と座談会をしたことがありました。銀座のママさんは、いろいろなサラリーマンの人生を見ていて、一人のサラリーマンの、新入社員時代から社長になるまでを知っていることもあります。僕が、「どんな人が出世しますか」と聞いたら、「自分のことよりも周りに気配りする人は伸びますよ」と言われましたね。
もう一つは、人の「いいとこどり」ができる人。自分の考え方に固執して頑固一徹でいくよりも、周りの人のいい部分をまねできる人がいいですね。 |
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上司は部下を、ほめて伸ばす
プライドを傷つけるしかり方はしない |
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杉崎 上司が部下を育てるにはどうしたらいいでしょうか。頭ごなしにしかってはいけませんよね。
弘兼 われわれ団塊の世代は、戦後、体罰を禁止された教師に習った最初の世代。教師が生徒を殴ったりしたら社会問題化する時代だったので、しかられ慣れていない分、自分たちの子どもをしかるのが下手な世代です。親が子どもをきちんとしかれない。怒ると怒った自分が恥ずかしい。だから僕らの子ども世代は、荒れる中学校、暴れる中学生といわれるものをつくりました。
しかるといっても、獅子が子どもを谷底に突き落として、はい上がってくるのを待つというやり方は、今はダメらしいんです。
たとえば、八つの悪いところと、二つのいいところを持ったA君がいたとします。八つをガンガンしかっても、A君は伸びません。二つが、見込みがあるとなれば、そこをほめてやる。ほめることで、全体の底上げをするやり方もあります。ガーンとしかるやり方は、今の若い人には逆効果です。
僕らも編集者や読者から「あの作品、全然だめでしたよ」と言われると次から描く気になりません。ウソでも「よかった」といわれると、次も頑張るぞとやる気になる。うまくほめてあげることは難しいのですが、大切ですよね。
杉崎 私はフジテレビの「めざにゅ〜」という番組に出演しているんですが、新人アナウンサーと一緒に進めていくんですね。先輩として技術面で教えてあげたいと思うことがあるんですが、あまり言い過ぎるのもよくないかな、どうすれば嫌な気分にならずに受け止めてくれるかな……と迷ったり。その辺りのさじ加減が難しいですよね。
弘兼 僕も、その人のプライドを粉々にするようなしかり方はしないようにしています。人前でしかると、その人は立ち直れませんから、しからないといけないときは、ちょっと裏の方に呼んで、あらかじめ断っておくんです。「今からおまえをしかる。でも周りで聞いているほかのやつも一緒にしかる。そのつもりで受けて立て」と言っておくんです。
誰かをしかるときは、一人プラス周りの人も同時にしかることも大事。周りの人にも「自分のことを言われている」と伝わります。
杉崎 しかられる側にしてみると、それが愛のムチなのか、ただ頭ごなしで怒られているだけなのか、わからないこともありますよね。
弘兼 理不尽な場合は、ある程度は受け流す。要は人生、楽しく生きた方が勝ちです。上司の一言を抱え込んでいたら、損だと思います。
杉崎 でも、悩んでしまって、一晩中泣いてしまうこともあると思うんですよ。
弘兼 そういうときもあるから人生はおもしろい。すべてうまくいったら、人生は楽しくないですよ。楽観的にいくのが一番なのかなと思いますね。 |
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実力だけでなく人脈も重要
信頼関係がステップアップのチャンスに |
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| 杉崎 社会においてのコミュニケーションというものを、どう考えていますか。
弘兼 漫画家の世界は、実力一本の世界。でも人間関係もとても大切です。
新人漫画家が世に出るのは、たいてい雑誌にひとつ穴が空くとき。編集者が「読み切りを描いてくれ」と新人に注文するんです。
A君とB君という、実力はほぼ同じ二人の新人がいたとします。A君は、言うことは守ってくれるし、飲みに誘えばついてきて、裸踊りの一つでもやってくれる。B君は、何か言うと反発し、付き合いも悪い。雑誌に穴が空いたとき、編集者ならどちらに頼むかといえば、A君です。仮にA君の実力がB君に及ばなかったとしても、僕なら、自分が楽しく仕事をするためにA君を選ぶかもしれません。
仕事とは、こういうものなんですよね。実力があっても、採用されなければどうしようもないわけです。A君には、この先も、採用されるチャンスがめぐってくるでしょう。日ごろの付き合いは大切です。
漫画の世界でもそうなんですから、ましてや会社では、人との付き合いが一番大切です。人脈ですよね。どれだけ、自分の言うことを受け入れてくれる人を持っているかですね。仲間だけで集まって、上司の悪口をいってるだけじゃダメなんです。苦手な上司でも、付き合っていかなければいけない。
杉崎 苦手な人でも、実際に付き合ってみると、今まで自分にはなかった考え方が得られるかもしれません。
弘兼 つまらないことにはこだわらない。マイナスエネルギーを使うなら、もっとプラスのことを考えた方がいいですよ。嫌なこともおもしろいと思ったり、怒られても「こういうことがいけなかったんだ」と、日々発見ですよね。そういうった積み重ねが大事になると思います。 |
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人とは違う武器を身につけて
会社員でも個人経営者の意識を |
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| 杉崎 最後に、就職、転職を考えているみなさんに、応援メッセージをいただけますか。
弘兼 昔と違い、最初に入った会社に定年まで勤めあげる時代ではなくなっています。いつ自分の会社がM&Aの対象になったり、経営者が替わったりするかもしれません。サラリーマンといえど、個人経営者の意識を持つべきです。そのために、人とは違う、自分の武器をたくさん身につける。部署や会社を移るとき、役に立ちます。
杉崎 日ごろから社会の流れを見て、自己プロデュースをしていくということですね。
弘兼 もしかしたら、人生の8割くらいは嫌なことがあるかもしれませんが、嫌なことも、プラスに変える力を身につけていただきたいと思います。落ち込むことがあっても、これだから人生は楽しいんだと。ゴルフでいえば、必ず2オンして2パットで入るという保障があったら、何もおもしろくありませんよね。OB出したり、空振りしたりするからおもしろい、もっとうまくなろうとする。人生もそう、社会もそうです。大変なことが必ずあるけれど、一つひとつクリアしていくことに喜びを見いだしていければいいですね。とことんプラス思考です。
杉崎 今日はありがとうございました。 |
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